3 大島縦断

 

二日目。夏の旅の朝は早い。

明るくなればどうしても起きて動き回る欲望を抑えきれない。

本来人間はそうして生活していたのだろう。

ことに南の地方においては。

冬の九州サラリーマンが標準時に駆り立てられ真っ暗な中をいそいそ出かける非人間的状況を思い浮かべる。

逆サマータイムとでもいうべき人間性の復権が必要だと思う。

朝食はAM:6:30 。ホテルとしては精精早いほうだろう。

例によって和洋とりまぜたヴァイキング。

どうしても喰いすぎるという人間が多いのも理解できる。

我慢する動機がないのだろうが、ここが人間性の本質にかかわるところなのだ。

私はぐっと抑えて焼きたての甘パン3つほか大皿にひととおり”洋食系のみ”を盛る。

しかし生来のとうふ好きで、これはやはり和食系だろうが私はこだわらない。

野菜のコンソメスープが美味しい。コーヒーも欠かせないなー。2杯は飲みたい。

結局人間の本質は食欲だということ。

さて、今日の大島移動はレンタカーに決めた。ホテルのすぐ隣にグループ会社がレンタカーをやっている。

たまたま窓から発見したのだが、予約をしなかったので焦って朝から電話を何度もするのだが通じない。

営業時間(AM8:00〜)を過ぎているのに居留守を決め込んでいる。

シャッター全開なのを上から見られているのに頭を隠して横着だ。こちらの視点を知らないと見える。

ともかく早めにチェックアウトをしていってみる。

気のよさそうな若者がひとり忙しそうに走り回っていた。

こちらも本来の気弱で事情がわかると文句は言えなかった。

軽、ナビつきで日産モコが一台残っていた。12時間の契約と24時間とは価格面で(倍にはならず)殆ど変わらないということを今回知った。

ホテル特権の割引きもあり思ったより安かったので翌日分も決めた。

島南部の古仁屋フェリー港にセットしていざ出発。

名瀬の市街を抜けるまでに学舎風の「島尾敏雄記念館?」を左奥に見つけていってみたが、時間的に早いようで入れなかった。残念。

出発が早いとこんなこともある。すぐ長いトンネルに突入する。それを抜けてしばらく行くと再びトンネル。島を横断し、海をみるともなくまたまたトンネル。

奄美は全島が山だといってもいいほどで、車がないころは陸道は用を成さず、舟で行き来をしていたようだ。これは世界共通のことだったろう。陸は離し、水は繋ぐという言葉もある。

車、特に自動車の発明はこれを劇的に変えた。日本という島国、山国も歯を食いしばってせっせと道を作りトンネルを開削して車におもねった。奄美など離島も例外にはならなかった。

車の魅力はこれほど凄いということだろう。

この山の中に原始林が残っていて探検ツアーがあるという。行きたかったけれど丸一日を要し、服装にも規定がある。今回はあきらめた。   

4本目の長いトンネルを抜けると「マングローブパーク」。トロピカルの象徴マングローブ林は私の憧れのひとつだった。だが残念なことにここもまだ時間前で入館が出来ない。しばらく駐車場に車を止めてあたりを散策する。せみだろうか、にいにいぜみを太くだみ声にしたような音声がしきりに聞こえる。たまたまハイサーフから降りてきた島んちゅうな若者に音の正体を訊くと「おおしまぜみですよ」との答えが返ってきた。6月から啼いているという。かなり大きなせみのようで、丹念にあたりの木々を観察したが、発見できなかった。残念。

一時間ちょっとで奄美の南端古仁屋の市街へ入った。港に着いてナビは御用おさめ。ここから海の向こうに横たわる加計呂麻島の瀬相へフェリーで渡ることにする。日に5便。結構頻繁だ。他に生間港へも3便がある。月曜日のせいもあるのだろうが、観光客は私たちだけのようで、別にがつがつしなくても乗れそうな雰囲気だった。入ってきたフェリー船「かけろま」は思ったよりも小さく、大型のバスなどは2台も載せれば満杯といった感じだったが、大型バスは影もなく島の生活定期便といった雰囲気の軽トラやワンボックスが2,3台、同乗した。  加計呂麻島を望む

30分ほどの航海で接岸。小さな事務所兼待合所の建て屋がひとつしかない港だ。

ここは島のほぼ中央に位置している。左へ行くか、右から済ますか迷うところだ。ともかく古仁屋港のターミナルでもらった案内書にあった大ガジュマルの木を見に行くことにした。しかし見当をつけて向かった方向へいけども見当たらない。それらしい大木が一本あったがどうも周囲が寂しい。何も表示がないのが気になる。カーナビも役にはたたず、これは方向を間違えたのだろうと引き返し、瀬相港の案内所の女性に訊いてまた出直した。

私は加計呂麻島を小島だということで簡単に考えすぎていたのだ。同じところを何度もうろうろし、結局先の場所の近くで車を洗っていた身なりのいい老人に更に聞いて目的地へ達することが出来た。いかにも南国風のガジュマルの巨木林。最後の寅さん映画のロケ地で、浅丘ルリ子がここを走ったらしい(見ておけばよかった)。

続いて先刻の老人に教わった「島尾敏雄文学碑」への道を峠越えで目指す。あとでわかったのだけれど、この2つのモニュメントはこの島の中央、最もくびれた部分の両側の海岸に位置していたのだ。地図でみてもそれが明確にはわからない。それぞれ貴重な観光資源だと思うけれど、島の中にそれへ導く標識が皆無なので、一度わかれば簡単にゆけるのだけれど、初めての人間には結構迷うことになる。観光客にはたいていが最初で最後の経験なのだし、レンタカーでおとづれる人も多いと思うので、誰でも確実にたどれるような工夫がほしいと思う。

島尾敏雄は全国的にはもう過去の人なのだろうか。私も昔、巷の話題につられて映画化された「死の棘」を読んだ位だけれど、氏の感覚は私には近しいものに感じられた。彼がこの島で若い海軍将校として特攻隊を率いる身で(それゆえに)超現実的な美しい恋愛をし、当然死ぬべき身で(敗戦によって)それを果たせなかったために最初のひどい挫折を味わったことが彼の文学的な(破滅的)人格を作ったのだろう。思えば氏も戦争の犠牲者だった。静かな記念公園の前の入り江の景色はその頃の氏が見た風景そのままだったのではなかったろうか。そういった心象風景を想像出来ただけでもここへ来た甲斐があったと思う。

ここでは碑も新しいし、思ったよりも金をかけてある。公園はトイレもあり、広く清楚で手入れも行き届いている。島のひとたちの期待が感じられた。

昼食を摂るべく可能性のある上陸港へカーナビを使って戻る。かろうじて入り込んだところに小さなラーメン店が開いていた。¥700.−のしょうゆ味ラーメンはぶあつい豚肉片と刻んだキャベツが特色の薄味だった。別に頼んだいのししの焼肉¥500.−は結構量もあり、香辛料だけで食べる。味は淡白で美味だった。本土よりも小ぶりの琉球イノシシという種だそうで加計呂麻島では以前はいなかったそうだ。大島から泳いで棲み付いたあと増え、地元特有の食材になっている。懸命に新天地を開拓したのだろうが、可哀相な気もする。

港から西へ、行けるところまで行ってみる。ドライブコースとしては見晴らしもいいがいささか狭いし、崖が崩れかけているところもある。この道しかないので戻ることが出来るかどうか不安でもある。フェリーの時刻から一時間を切った時点でまだ終点には届かなかったけれど、引返すことにする。入り江の小港のそばの「薩川中学校」で証拠写真を撮る。どこからか三線の響きが聞こえてきた。これは写真には撮れないなあ。    さらば加計呂麻島 

島を走る定期バスに抜きつ抜かれつしながら瀬相港へ。PM2:35 加計呂麻島を離れる。古仁屋から名瀬へ来た道を戻る。カーナビをセットしょうとするが、ホテル名では入らない。名瀬港漁業組合事務所で入れた。さほど離れてはいないだろう。

来る途中で寄った「マングローブパーク」へ入る。中は植物園と年寄り向けのグランドゴルフのコースが併設された広い遊歩道があり、電動のモノレールでパーク全体を見渡せる高みへ労せずして行けるようになっている。海そのものは見えない入り江で一見すると川としか見えないが、これが海と同じ水位、汽水域のマングローブ原生林なのだ。西表島のものに次ぐ規模だそうだ。やはりカヤックに乗って水面から見てみたかったが時間もなく、ホールの写真と展示だけで慰める。例の生きたハブの展示があったけれど、巧妙に隠れていて脱皮した殻しか見れなかった。

無事ホテルへ帰着。昨夜と同じホテル内でお勧め定食を食し、風呂に入ってからごそごそひとり名瀬市街を探索。2時間弱で成果もなく疲れて帰還。

 

あまみ島ゆき-4 へ続く