福岡県のダム歩き

16)弁城ダム

福智町はわがまちの隣り、福智山の山向こう、旧赤池町と旧方城町などが合併しで出来た町である。その旧方城町にあるという弁城ダムへ向かった。

旧方城町はその昔伊方村と弁城村が合併して出来た町であり、大手の三菱炭鉱が良質の石炭を掘っていた。大正年間に千人近い(か、越える)犠牲者を出した大炭鉱災害を起こしたが、被害を僅少に工作して継続した(千人を越える犠牲を出した炭鉱は閉鎖するのが決まりだった)疑惑を追及する著作(「方城大非常 織井青吾著)がある。その炭鉱が閉鎖(昭和37年)した跡地に誘致された家電工場に私は勤めていたのだが、この「弁城ダム」の存在は知らなかった。

山手へ入ってそれらしいものを探す。スーパー棚田とでもいうべき人の背丈を越える段差のある立派な棚田群を見ながら、前方にひときわ大きな堰提を見つけた。道ではない、かなりひどい急斜面の藪を這い登って堰堤(堤高23.1m、堤頂長さ151m)に達した。そこに立ってから気がついた。何のことはない。両側に車が通れそうな取り付け道路が存在したのだ。

 

堰堤は立ち入れたけれど、池(総貯水量20万立方m)の周囲を回る道はなかった。ダム湖と記念碑は撮った。昭和41年完成と読めた。私が九州へ来る4年前だ。


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