激白 71.佐世保飛ぶ


 70.   「虎が消える日」

  メイル仲間が多摩野生動物園で撮ったという
虎の写真を送ってくれた。見事な、迫力あるショットだった。
そういえば、いつだったか、NHKTVでインドのベンガル湾、
ガンジスデルタのマングローブ(沼沢)地帯に生きる野生の虎の
家族を追ったドキュメンタリがあった。
泥だらけの、ちょっと情けない猛虎。
珍しい、見ごたえのある映像だった。

  ちょうど「虎が消える日」という本を読んでいた。
消えゆく野生の動物。虎はレッドデータブックの中でも超大物だろう。
アフリカの草原に群れる野生ライオン(かつてアジア、東南欧、
北部アフリカなどに広く分布していた)の危機的状況に比べて、
その森深くにひっそり棲む一匹狼的な生態から、豹などと同様に
人間の文明化に対しても比較的強いと思われてきたけれど、
分布する地域の人口増(虎はアジアに偏在している)、森林開発
などから、ご他聞に漏れず減少傾向に歯止めがかからない。
一番うまくいっているといわれていた、最多、最大の分布地域を
持つインドのベンガルトラも、最近の人口爆発で怪しくなっている。

  つまり、記録にある八種のトラ中最大の種シベリア虎も、
中国のアモイ虎も、タイやマレー半島のマレー虎(快傑ハリマオではない)
も、インドネシアのスマトラ虎も、みな絶滅が危惧されて、いや、
もう絶滅したかもしれないという。はっきりしているのは、バリ虎
(1930代後半絶滅)とカスピ虎(1959絶滅)、そしてジャワ虎
(1979絶滅)はもう地上にはいないということだ。有史以前に
その殆どの分布図から撤退したライオンに比べれば、まあよく
持ちこたえていたと言えるのかもしれないけれど。

  ’68年出版の小原秀雄のピクチャーエッセー「猛獣
(朝日グラフ連載)のトラの項には、「なおインドに約四千頭残る」とあるが、
十五年後に出た「滅びゆく森の王者C・マクドーガル早川書房
 
では、「(インドでも)二千頭を出ないだろう……」となって、この
「虎が消える日」では、文中の「インフォーマント」(情報提供者の意)
との会話(’86〜8に交わされたらしい)として、インドに生息している虎が、
公表されている三千〜四千という数字に対して「七百頭以上ということは、
まずないでしょう。五百か、それに近い数字だと思います。」
と言わせている。世界中の野生虎の総数は(公表されている数字は
七千〜九千だが)千五百位ではないかとも。
絶滅寸前といわれる所以である。

  プロジェクト・タイガーと呼ばれた
野生虎保護キャンペーンでインドの虎は’80年代にむしろ
増えたとされているが、その運動そのものの効果も、同国の
著しい人口増の圧力の前には焼け石に水となっているのが
現状だろう。まして比較的狭い地域にその危険窮まりない
猛獣のテリトリを持つ他の国の現状は推して知るべし。
彼等がその観光対策やらメンツなどから、生き残っている虎の
見込み数を過大に公表するのは想像できるけれど。

 

  虎が消える日」R・アイヴズ  朝日新聞社 
野生動物を見て回るツアーのガイドを職業とする著者が
野生虎の魅力に取りつかれ、その保護、保存に尽力している
現地の人々との出会い、そして数度にわたる幸運な野生虎の
目撃体験を綴った物語めくドキュメンタリーである。当然インドでの
体験が殆どを占めているけれど、その他、タイやインドネシアでの
生々しい体験もあり、殊に、四駆自動車や隠れ小屋、象に乗っての
生の虎観察には物足りなく思った著者の、徒歩によるぶっつけ本番の
虎体験(当然命の保証はない)にこだわった後半の著述が素晴らしい。
スマトラ島で絶滅寸前の、自暴自棄になった人食い虎を追って、
これも(自然破壊の現状を各地に実感し、複雑な思いと絶望で)
すさんだ猛獣のような(日本人が大嫌いだという)同業のナチュラリストと
一緒に山中をさまよう著者の姿と心境の描写はすさまじいとしかいいようが
ない。それは、つい先刻虎に女児を食われ、その遺骸を前にして泣き叫んで
いる女の姿を目撃した時の淡々とした描写で最高になる。

 

「あの女(娘を食い殺されて泣いていた村の母)が、何と言っていたか、分かるか?」
ヴェルテル(相棒の名)がシニックに言った。
「こう叫んでいたんだ。
『意気地なし!誰も、森へ入って人食い虎共を皆殺しにすることもできないんでしょう!』
だと。」
しばらく沈黙したあと、ぼそっと続けた。
「そう、彼女のいうことも、もっともだ。
ま、いずれ、遠くなく、そうなるんだろうしな−−−。」

  確かに、そうなのである。環境問題と貧困の問題の
相克の難しさに似て、野生虎の保存問題は環境問題を抜きにして
語ることはできないけれど、それはまたゴミ処理場、原発立地問題に
相似して、現地住民の立場を考えたばあい、更に深刻な対立が
現存することは想像するまでもない。そして、それらを総合的に
把握するのは、やはり現地民の世界から、彼等の日常のやりかたで
虎を知らなければならないことは確かだ。
ピンポイントを移動し、快適な現地ロッジに泊まり、四駆自動車に乗って
安全に、予め用意された囮の牛に近づく虎を待つお大尽ツアー
なんかでは感じられない多くのものを見ることが出来るはずだし、
そんな視点がこの複雑な問題の解決(あろうはずはない、
という気もするが)には必要なのだろう。
もっとも、それは従軍記者以上に困難な、生命の危険を伴うもの
なのであり、著者のように重い友情を犠牲にもしなければならない
非常識な行動にもならざるを得ないのだろう。
誰にも出来ない希有の体験が、全体として物語風に、
ロマンチックに語られて、楽しく読み終えた一冊だったけれど、
著者の結論はどうも楽しいものではなかった。

「今、既に、どこかの森で、野生最後のトラが生まれているのだろう…。」

トラの寿命は普通、25〜30年と言われる。

 



            69・鉄腕アトム

 

  ’03.4.08はアトムの誕生日だそうである。巷には
第何次かのアトムブームが起こっているし、NHKBS放送でも
アトムのアニメ(再放送?)が始まった。

  アトムは私の心のふるさとのひとつである。
この「激白」の最初のころにも書いたけれど、アトムは手塚漫画
エキスであり、金字塔であり、集大成である。日本漫画の通史でも
代表作のトップに位置することは疑いない。もちろん、日本アニメ
の隆盛にユニ−クな一歩を刻んだことでも、この漫画は大きな貢献
をした。ジプリの最近の世界的な成功でいささか色褪せた手塚
アニメだけれど、その偉大さは変わっていないと思う。

  もちろん、鉄腕アトムだけが手塚マンガではない。
その他にも傑作大作秀作は枚挙にいとまがない。というより、
氏の作品群から駄作を捜すほうが難しい。好き嫌いを別にして
何だ、これは、といった氏の作品に私はお目にかかったことがない。
もっとも、私も氏の全作品を読んだわけではないけれど。

  氏に比べられるアーチストをもし挙げるならば、
やはりモーツアルトしかないのではないか。凄まじい乱作と
超多忙のなかであれだけの数量を作りあげた、その湧き出る泉
のようなインスピレーションの源泉が何だったのか、私が最も
知りたいことである。もちろん企業家としての様々なアイデア
(多数の助手を使った流れ作業で漫画を製造していくことを
その最大のものとして)もその偉業を可能にしたのだろう。

  氏が芸術家として、創造者として国内外に
影響を与えた未曾有の業績を残したことを考えるにつけても、
なぜ氏が芸術員会員にならなかったのか。勲四等などでお茶を
濁されたのか、全く理解に苦しむ。そんなところに私は日本社会の
ヒエラルキーの馬鹿らしさ、虚構性を見るのである。

 

  最近見つけたエッセイサイト「オン・ザ・ポンド」で、
この漫画の神様について触れた文があり、興味深かった。
それによれば、神様は自作の再出版のたびに加筆訂正を行った
ことで有名だったと(「神様の仕業(1)」)。小説などのそれとことなり、
コミックの加筆訂正がいかに面倒なものであり、最近こそコンピュータ
であっという間に出来る修正なども、全てが手作業でしなければ
ならない時代であったことを思えば、それは驚くべき完全主義根性の
発露だったのだろう。氏が乗り合いバスにも乗らないほどプライドの
高い芸術家を自認していたことを思えば、自作に対する真摯さ、
厳しさには頭がさがる。

  手塚漫画がいつも2番手で、決してトップには
なれなかったという「オン・ザ・ポンド」氏の主張がどんな確かな
根拠から導かれているのか、わからないし、その他彼の見方
全部に同意するわけではないけれど、彼が言っている、

「ともかく、神様の作品を沢山、出来れば百冊は読んでほしい。
読めば読むほど、というより、沢山読まなければ神様の凄さは
分からないと思う。神様の仕事の、量と質にうちのめされて欲しい。


と書いているのは、けだし正論だと思う。

 

  全く蛇足として書き留めるのだけれど、この
エッセイサイトにある他の小文で、気に障ったのが
かわいいったぁ殺せることだ」だった。いかにも様々な、広辞苑を
含む権威ある(らしい)他人の文章をひいて語っているけれど、
全く意味の通らない、ただ自分の下らない思いつきを面白がって
いるだけの詰まらない文章だ。彼が幼児虐待症か、それとも
愛とか、美しさに感じるといった根本の人間らしさを持たない
異様(危険)な人物だということを分からしめるだけの駄文だ。
ここ二年以上更新がないから、現在日本には存在しない人物
なのかもしれないけれど、彼のために、こんな毒にしかならない
文はとりさげてほしいと思う。

  もっとも、こんなことを書けば、じゃあ、おまえの
サイト(の大部分を占める変態小説群)なんぞも、すぐにでも
引っ込めてしまえ!という投書が来そうである。
それはそうかもしれない。
でも、私のサイトは、少なくも18才未満の人間には
見せないことになっているのです。念のため。

 




68.「才能」のこと

しばらく間があいた。
さぼっていたわけではないけれど、ここに書くテーマが見あたらなかった。
いや、本は読んでいた。
まとまってはいないので、まだ感想は書けない。
づっと書かないかもしれない。
書かないなら書かないでも、誰も怒らないのが素人の気楽なところなのであるが、
私は自分を試すつもりで、出来るだけ空白を作らないできただけだ。
それに、
ここは日記めいたものにはしたくないので、
前回以後の25日間の空白のいいわけはしない。
ネタ切れの際の、ひとつの常套手段として、
また大家をからかって見ようと思う。

山本(貴嗣)先生が最近の雑文で「才能」について書いておられる。

漫画家のプロになるための「才能」と努力の割合は、
85:15以上なんだそうである。

かのエジソンが言ったという、例の「発明は99%の努力と
1%のインスピレーションだ」という言葉の引用もあったが−−−。
平山郁夫氏が美校の入学式で言われたという、
「君達は玉石混交だ。」という挿話もあった。
石は幾ら磨いても石に過ぎないが、という言葉もあったそうな。
当然ながら、先生は御自分の才能を恃んでおられる。

「才能」とは何か。

「天賦のたまもの」といわれることがある。
凄くありがたいもの、天があたへたまふものらしい。
だから、「普通のひと」が得られることはないのだろう。
天(神様?)に認められなければならないのだ。
これは宝くじに当たるような、偶然以外のなにものでもないだろう。
才能を得られた人間はスーパーエリートなのだ。

「努力」とはなにだろう。
この場合、苦しいけれども、何かを得ようとしてこつこつトレーニングすることだろう。
でも、山本イズムによれば、普通のひとの努力は85%が無駄になると。

機会効率15%の非能率きわまりないエンジン。

でも、才能人よりも85%以上頑張ったら、あるいは人気プロ作家になれるかも−−。

あたりまえのことだけれど、才能なんて誰にもわからないのだ。
だから天とか、神様に愛されたものとか、意味のない表現がされるのだろう。
ある人間に才能があるのか、ないのか、結論づけるのは非常にムヅカシイ。
当人はもっとわからないだろう。
言えることは、やってみなければ、努力しなければ才能は芽ぶかないということだけだ。

誰だって、モーツアルトだって、親爺にむちゃくちゃに鍛えられなければ、
生涯ただのひとだったろう。
それに、一概に才能といったって、実に多様で、量的にも、ちょっぴりから圧倒的なものまで、
非常に大きなレンジが広がっているのだ。

誰だって才能がある。

これは常識だ(と思う、願望半分で)。

小林秀雄だったか、
「才能とは努力する才(能力?)である」とか、ややこしいことを言っていた。
「好きこそものの上手なれ」とはよく言った。
才能のある人間が、たまたまその才能に該当することがらを好きになり、
めっちゃ努力したら、相当のところまで行って、運もさいわいし、
結果としてプロになった。
そんなケースが殆どなのだろう、と私は思う。

「下手の横好き」とは意地悪な言葉だけれど、
要するに、人間は自由にしていいのだ。
才能を信じるものはチャレンジすればいい。
そしてへこたれても、それで当人満足すればいいではないか。
自由にさせれば。
ま、かなりとことんまで努力しなければ、
失敗しても満足することはムヅカシイと思うけれど。

自由にしよう。


     67   「戦争の法」

  いよいよアメリカ・イギリス連合軍イラク攻撃が始まった(3/20)。
理不尽な戦争である。
もっとも、理不尽な戦争はこれに始まったことではない。
戦争は基本的に理不尽なものなのだろう。ドメスチック
バイオレンスを含め、弱者と強者がお互いのためにひとつ
世界で平和(生きるための最低の条件である)にやっていくためには、
それなりのルールが必要不可欠なのであり、そのルールのひとつが、
「紛争の解決には暴力を使わない」ということなのだろう、
と私は理解している。サダム・フセインが多分、我慢ならない
奸佞な悪人であることは分かるけれど、少なくも手続きを経て成った
一国のあるじであり、国民感情という厄介なものもあり、これを
暴力でなきものにするという考え方は、全く無理があると思う。
第二のベトナムにならぬように、大国には自重を求めたい。

 

  以上はまくらである。
偶然ながら、佐藤亜紀「戦争の法」を読み終えた。しばらく前から
読みかかっていたのだけれど、なかなか乗れなかった。
今度敢行した小旅行(臼杵行1泊2日)の車中(JRと第3セクター)
でその殆どを読んだことになる。十年前に書かれたもので、例の
ファンタジーノベル大賞の「バルタザ−ルの遍歴」の直後に書かれた
ものであるらしい。「バルタザ−ル」はアップトウデートに近い時点で
読んでいたし、う−ん、才能は認めるけれど……、という感じだった。
私にはあの観念小説がなんで「ファンタジ−」なのか分からなかった。
確かに湧いて出るようなイメージの横溢は楽しく、凄い学殖や深い
古典芸術一般への造詣も認めるけれど、その結果が小説として、
我々をどこか途方もない彼方へ流し去っていくロマンになっているかと
いえば、少々疑問だった。今度の「戦争の法」も、戦争文学という
題材としては「バルタ」とは正反対、全くロマンと赤裸々、ドラマと細部の
猥雑、暴力描写で押し切っていける筋合いのものだった(もちろん
戦争哲学、人間性の密林中へ沈潜していく文学もあることは確かだけれど)

  でもそうじゃあなかったようだ。やはりよくも悪くも
「バルタ」との共通点が様々見られるのは、つまりはこの作家の
美点であり、特徴であるのだろう(悪くいえば限界?)つまりロマンを
求めるのではなく、作者の土俵で、西欧的古典的カラーのもとで
観念的な饒舌とこざっぱりしたエピソードを積み上げていきたいという。
それはそれで十分成功した面もあるようだけれど、特に前半というより
導入部での晦渋さ、乗りの悪さが、なかなか私には読み進む気に
ならず、障害になったようだ。

  「戦争の法」とはうがった題名で、筋は、これこそ
ファンタジーそのもの。東北の一つの県(岩手県を想定してあるようだ。
井上ひさしの良く似た小説設定を思い出す。)が突然日本からの
分離独立を宣言し、共産主義国家をつくるべく、ソ連に協力を
仰ぎながらこれを阻止しようとする内外の障害物と戦争状態に入る。
1975年から5年間の壮大な虚構を、その時12才で、その後ちょっと
した偶然から抵抗運動、解放勢力の一派、ゲリラ軍へ身を呈した
少年酒々井たかしの目でその顛末が語られる。

  結局、当然ながらこのはちゃめちゃな想定の独立国家は、
それら解放戦線の攻勢の激化などにより崩壊するに至る。
主人公の属する軍は駐留するソ連軍を県外へ追い出し、束の間の
体制側であった「義勇軍」を攻囲して打ち破り、解放することに成功するが、
後から入ってきた日本政府自衛隊に武装解除させられ、
再教育施設で暮らしたあと、大学教育を受け、図書館司書として
穏やかに暮らす。この一文は彼が図書館の蔵書を皆読み終えた後の、
そんな暇な折りに書き上げた「分離独立時代」の手記という体裁に
なっている。

  ファンタジーとしても、SFとしても読めるこの絵空ごと
文学は、もちろんこのえそらごとが大変困難な、ありそうもない状況
なのであり、シリアスドラマとして、リアルに書こうとすれば大手腕を
必要とする(出来るか?)し、第一、きりがない性格のものなので、
それこそこの6、7百枚の分量で我々に納得させようと思えば、
こんな書き方しか出来なかったのだろう。全体の流れはざっと
背景的にスケッチするだけに留め、細部はただ、伍長と呼ばれた
連戦連勝ゲリラを率いる完璧なリーダーのグループと、その
周囲にうごめく人間たちのエピソードに絞って
光を当てて行くに留めるという。

  最後の「義勇軍」との総力戦だけはそれなりに
作者も総力戦に近く、戦争記録文学らしい書き込みが見られる
けれど、それもあいまいにヴェルダン塹壕戦なんかが引っ張り
出されたりして、確かにひとは沢山死ぬけれど、作者の筆は
上品であり、いまひとつ迫力がない。全体に見ても、伍長の
魅力的(と思わせたい)な個性もさほど現実味はないし、手記の
作者以上にヒロイン(男ではあるけれど)的な千秋(天才的な狙撃手、
汚れなき美少年)の末路のあいまいさに至っては
なにをかいわんや。

  もちろんこれはファンタジーなのであり、全く反戦文学などとは
異なったものなのだから、もっと悲惨に人の死を書け、とか、
全て金でかたをつける、主人公すらもとてつもなく儲けて余生を
安穏と過ごすなど、不真面目もはなはだしいなどという非難は
全くあたらないだろう。
ただ作者は、ちょっと時代離れした異様な舞台設定のなかで
実験的に生起する、小バルザック人間喜劇を書きたかった
だけなのだろうから。

 



                       66. 宮脇俊三氏のことなど

  つい先日のことだったが、久しぶりに宮脇氏の新刊
(要するに、まだ読んでいなかった本,実は、H12年3月刊だった)を
書店で発見した。「ヨーロッパ鉄道紀行」新潮文庫。氏の多様な
鉄道紀行文は随分楽しませていただいたけれど、ヨーロッパ、
アメリカなど「鉄道の本場」の紀行文にはお目にかかっていなかった
ので、あ、これは珍しい、という気分だった。それを読んで、
間もなく(3/6)訃報を聞いた。享年76とか。驚いた。合掌。

  もっとも、私はファンとはいえ、怠惰な愛読者で、
上記の例もあるし、実際、氏の最新刊をいつも渉猟していたわけで
はなく、ハードカバーも持ってはいるけれど、皆古書店でみつけた
ものだ。
  前記の本の、その後に出た著書を、
私は既に読んでいた(駅は見ている、H13年刊角川文庫)。

  どこかにも書いているけれど、氏の著作には、はまった。
そのあげく、九州からJRの各駅停車の列車を乗り次いで札幌まで
行こうか、というような旅行の計画を目論んだこともある(結局
中途半端なものになったが=「みちのくどうなん?」参照)。

  氏の作品の最高傑作は、やはり処女作の「時刻表2万キロ
だろう。他にも印象に残る著作は多いけれど、ともかく「最新作」の
読後感想から入ろうか

 

  この本の目玉はパリからロンドンまで乗り継ぎなし、
乗りっぱなしの、英仏海峡トンネルを通るユーロスター搭乗記
(これはTGV=目下世界一の営業速度を持つスーパー列車)だった。
TGVといえば、やはりパリ=リヨン間が有名だけれど、この線の
搭乗記は、以前これも乗り物マニアでは大御所の阿川弘之氏のもの
北杜夫氏なども、確か登場した)を読んでいるし、実際、いまさら
TGVなんて話題にも乗らない。もう古いのである。それにしても、
TGVが古くなれば、じゃあ、これでどうだ、とばかりの英仏海峡
トンネルである。世の変遷の速いことよ。そして、老いて増す増す
盛んな、宮脇氏の好奇心の旺盛なことにも喝采を贈らねばなるまい。
この元本、ハードカバーの発行はH12年から更にさかのぼって、
H8年だった。世紀の大事業と言われたドーバー海峡海底トンネル
開通は’95年(H7)のことであり、既に八年が経過しているのだ。
つい先年のことだと思っていたのだが。

  ま、それは良い。思えば、鉄道マニヤだった宮脇氏は、
日本の中で(既に斜陽になって、最近ではずっと少なくなっている
けれど)新線開通と聞けば、真っ先に飛んでいって乗りこむという
新しものずきだった。ユーロスターも、ドーバー海峡トンネルも
世紀の工事であり、世界が注目した新線だったし、氏が食指を
動かさないはずはないだろう。もっとも、トンネルの長さに限って
言えば、私など青函トンネル(全長53.9キロで世界一,ドーバー
トンネルは50.5キロ)に乗ってしまっているので、さほど感慨は
湧かない。もちろん、歴史的にも豊かな年輪(ナポレオンも
この工事を計画したとか)を持つこのトンネルを一度通って見たい
気はする。それにしても、この新幹線が本気で走ったら(ブリテン島
の方はまだ在来の線を走っている)パリ=ロンドン間はたかだか
2時間20分くらいで結ばれる(近い!)だろうという話には驚いた。
このあと、氏はハンブルグ(ドイツ)へ飛行機で飛ぶのだけれど、
この間が700キロ、東京広島間の距離に過ぎない。
ヨーロッパというのは、案外にせせこましい世界なのだ。

  このあと宮脇氏はドイツ自慢のICEに乗り、イタリアへ
入り、スペインの鉄道に乗りと例によって様々な鉄道旅行を楽しむ
のである。私たちは居ながらにしてそのユニークでユーモラスな
旅行を悲喜おりまぜて楽しむことができるわけだ。しかし−−。

  国内旅行では、氏に随分羨ましい気分にさせられた。
しかし、インドや中国、ロシア、フィリピンやら南米、それに
タイ=ミャンマー(ビルマ)間の鉄道搭乗記もあったか、それら
多彩な鉄道旅行記では楽しい思いをさせてもらったけれど、
いっかな、うーん俺も行きたい、乗ってみたいーという気分には
ならなかった。氏をはじめ、その同行者諸氏が、多くの難関を越え、
結構苦労や危険を重ねてそんな珍道中を続けるというパターンは、
読んで極楽、体験して地獄ということなのだろうし、それはこの
著における舞台、先進国たる鉄道の老舗であっても、余り事情は
変わらないように思える。つまり、パリの不良少女グループによる
集団窃盗や、ドイツの市内電車での不愉快な体験など、ここでも
その類のエピソードにはことかかないのだ。結局、氏の行動が
マニヤの、マニヤックな趣味、行動なのだということなのだろう。
それは[2万キロの旅」でも、「最長片道キップの旅」でも同様だ。
東大卒、メジャー出版社の辣腕編集長から取締役を経て名随筆家と
筋目正しい超エリートが演じるから面白いのだけれど、氏の紀行文は、
つまるところマルコポーロの冒険録と本質的に変わらない冒険記なのだ。
ミス・キャストの妙味というか、どこにでも居そうな横丁のインテリ
ご隠居さんが涼しい顔をしてそれをやってのけてしまうところに
一種格別な痛快感が生まれるのだろう。

 

  それにしても、やはり、日本はいい国だ、と思う。
市電感覚と過密間隔で全国を貫いて走りめぐるわが新幹線は、
日本が世界にさきがけ、範を垂れて大いなる影響を与え、
いまなお真似をする国が後を絶たないわけだけれど、一度や二度、
運転士が居眠りをしたところでこの優位性は揺らぎもしないだろう。
もちろんとぼけた冒険家宮脇氏は、新幹線よりもローカルな
各駅停車線をこよなく愛されただけれど、利便性からいって、
安全性からいって、新幹線にかなうものはどこにもないのだから。

 

 

     65. ターザン

  サ−カスが来た」副題アメリカ大衆文化覚書という亀井俊介氏の著書
東京大学出版会)の中に、「ターザンの栄光と憂鬱」という章がある。
なかなか教えられることの多い記事だった。
作者のバローズが病床にあって、
あの健康的この上ないヒーローを創造した
と私はきいていたが、そんな記述はなかった。
私の思い違いだろうか。
むしろ日本(旧日本軍)と作者とのかかわりが気になった。
作者はパールハーバーの災厄に出遭い、従軍記者を志願して
太平洋戦争を記述したという。
(旧)日本軍をやっつけるターザンもシリーズにはあるらしい。
そんなターザンには余り興味はないが。

何にせよ、作者の死後も2次ブームが起こり、
’63年の1年で1千万部を売り尽くし、
その後の6年間で5千万部(彼の他の著作も含めて)が出たという、
その超ヒーローぶりの秘密の一端が前記の挿話から窺える。

  ターザン映画の傍流に「グレイストーク」というのがあって、
これは幼い赤ん坊だったターザンを運んだ灰色の怪物
「老いたゴリラ」を象徴する言葉(ストークは赤ん坊を運ぶと
信じられている鳥−こうのとりの意)だと私は深読みしていた
のだけれど、その話もなかった(彼の実の親、
イギリスの貴族グレイストーク卿から来ているらしい)。
ターザン小説は30編近くあるらしい。
私は早川シリーズで3,4編を読んだ
のみである。美女ラーの挿話が面白かった位で、
大方の印象は昔、映画館で見たものに負っている。
大体、映画だけでも40本作られたというのだから、
小説本の稼ぎをずっと凌いでいるはずだ。

 

  (映画の)ターザンはそのように私も幼少時代から親しんだし、
人格形成にすくなからぬ影響を被ったと自覚している。ターザンは
アメリカ人のヒーローのみならず、アメリカ文化を多量に供給された
戦後日本人の心にも食い入って傷を負わせたようだ。ターザンとは、
私にとって何だったのか。

  ターザンの物語は、多分、かの山川惣治にも影響を与え、
少年王者」やその他の創作の土壌になった。特に「ー王者」の出だしは
ターザンのオリジナルそのままであると指摘される。アフリカの密林に
置き去りにされた夫婦、その子供がゴリラの群れにさらわれ、彼等に
育てられて逞しく成長する。この2つの物語はそこまでは全く一緒だ。
ただ、山川の日本版はそのヒーローが少年のままで活躍し、やがて
実父に巡り会って文明社会へ戻っていき、終わる。ターザンの場合は
大人になってからの物語が殆どで、密林と文明社会を何度も往復し、
恋もする。長いシリーズものになってコミック化もされ、今なお現役である。

 

  ターザンと「少年王者」とどちらが私の好みかと尋かれれば、
私はちゅうちょなく「少年王者」と答える。山川惣治が江戸川乱歩と同類(おそらく
手塚治虫も)の稚児好みだっただろうことは見当がつくし、乱歩は「少年探偵団
に並み並みならぬ意欲を見せていたが、彼が大人向けのエロチックな猟奇小説を
書いたのと対象的に、山川は生涯大人向けの作品を書かず、少年愛のみに
固執したのは、やはり小説とは異なり、大人向けのコミックが全く未開拓の分野で、
誰も書く勇気がなかったことによるのではなかったかと私は思う。

  ターザンはどちらかと言えばまっとうな大衆娯楽読み物だし、
さほどのエロ要素はない。アメリカの清教徒的伝統がそれを強いたのだろう。
山川は少年愛に入り込むことでエロスの代償を見いだしたのだろうと思う。
成年男子のマッチョよりも、中性的な少年はエロスがにおい、異性愛に近い
存在だからだ。
キップリングが、インドを舞台に野生少年が活躍する「ジャングルブック」を
ほぼ同時代(ターザンと)に書いたことも、この傾向が見えて興味がある
(キップリングは他にも強い少年を主人公にした作品を幾つも書いている。
多分、彼はこれらでまっとうな文学を造ったのだけれど)。

 

  今、エロスの追求において、遠慮なく直接的に濃厚な女ターザンに
向かえる環境が整備されてはいるけれど、誰も存分にこの環境と
アイデアを利用しているとは言えない。
’84の米映画「シーナ」を例外として、
まだろくな作品はないのが現実だ。最近もこのリメイクが出たけれど
(「ジャングル」)、全くたいしたことはなかった。
前者は女優もメジャー(タニヤ・ロバーツ)だったし、台本も良かった。
今はCGなどの技術が発達しているし、R・バデムくらいが
新体操なりシンクロの世界的美女を
使って、エロチックで目覚ましい、(嗜虐的であればなおよろしい)そんな
映画をつくってはくれないだろうか。
世界的にヒットする保証はないけれど。

 

64.NHK特集  小沢征爾

  小沢征爾は日本が誇るインターナショナルな指揮者だ。
その現在とそこに至る軌跡をサマリーに描いたドキュメンタリを見た。
ボストンでの29年間、その間に、日本でも様々な音楽活動を
していた。番組ではその中でも特異な、若手音楽家と、チェロの
巨匠ロストロポービッチ氏を伴った、東北地方でのゲリラ的
無料演奏旅行の模様。お寺の本堂を舞台にして、まずその
ご本尊さまに演奏者たちが一礼してから反対側の観客に向かう。
夏の長野、奥志賀高原、スキーのゲレンデで行った演奏会、
これは十年以上も続いて、とうとう専用のホールが出来たという。
また中学校での演奏会、生徒がお返しに合唱する、その音楽が
なかなかよかった。この番組は音楽番組ではないけれど、それぞれの
演奏の模様が短くはあっても、音楽的には決して半端ではなく、
それなりに聴かせてくれるのが嬉しい。

  小沢がいう。音楽は、もちろんプロの技術的に凄い
演奏も感激だけれど、素人の演奏でも、心の篭もった演奏はまた
感動ものだ。音楽それ自体の力というのだろうか、音楽は、
だから尊いし、いいものなのだ。去年から小沢はウイーンフィル
音楽監督としてオペラの活動を始めている。その最初の演奏会の
演目は、ナチスが退廃的な内容だと演奏を禁止されたいわくつきの
七十年前の前衛的な(現代)作品だった。これもなかなか難しい曲の
ようで、様々な試行錯誤を繰り返しつつ小沢は更に大きくなっていくの
だろう。彼にはカリスマ的なものは何もないし、背も高くない。
指揮者としての一般的な風格に欠けるように思うけれど、立派に
世界一流の音楽家たちをリードしていくその力の秘密は何なんだろうか。
その慈愛に満ちた笑顔なのだろうか。

  去年のニューイヤー演奏会は結構話題になったし、
この二年ほど、ずっと彼についての話題が先行している。
この世界でも最高の地位に上った世界の小沢に日本が例のごとく
過剰反応しているようなきらいはあるけれど、世界の小沢と言われ、
大変な忙しさのさなかにありながら、やはり彼は日本を忘れないし、
日本での多くの活動を、あの飾らない態度で続けていくのだろう。
そんなことが、一般の日本(人)にとって、当り前の風景の
ひとつになっていくのが日本の文化的成熟というものなのだろう。
もちろん、小沢の偉大さは変わらないし、更に話題にされて当然
なのかもしれない。彼がデビュー当時周囲の無理解もあって挫折し、
アメリカに活動の場を求めたことはもう大過去の話になっているけれど、
私のように忘れないひともいるのである。

 

  良く似た話だけれど、今度のノーベル賞ダブル授賞
特に田中耕一氏についてのフィーバーは凄かった。1/31の
朝日新聞(「科学を読む」)で触れられているが、ノーベル賞に
値するひとは他にも随分居るという。この世界一の賞の選考の
公平さ幅広さに疑問の余地はないにしても、授賞にはかなりの
良い巡り合わせが必要であり、運悪く貰えなかったひとたちは、
日本では余り評価されないままであることが多いと
いうのもうなずける。
特別に抜きんでた才能や独創性を正当に評価し、育てる能力が
この国にはないということだ。それだけに、特別な権威である
ノーべル賞にすがり、過剰反応するのだろう。これも日本文化の
(陰の)一つの特徴だというなら、その通りなのかもしれないが。

 


63.プロジェクトXから

NHK特集だったか、例のテーマ曲「夜明けの星」のヒットもあって
人気が出た
プロ・X。情緒に流れすぎるという批判も一部にある
ようだけれど、私は結構楽しませてもらっている。
もっとも、いつも決まって見るというほどではない。
たまたま出会って見る、という程度である。
TVはニュース以外基本的に見ないし、この番組もいつもそうだけれど。
’03年最初の番組である「
出光丸」の話にたまたまであって、見た。
日本が造船大国になった直接のきっかけになった、
竣工当時世界最大だった日本の
超大型タンカー開発秘話。

その頃、日本の造船業は活況だったけれど、
ヨーロッパなど外国からの注文も、単に低賃金による
造船単価の安さが唯一の武器だった。
外国から来た技術者に様々注文や文句をつけられて、
かつかつ屈辱的な商売をしていた。
オイルショックがあり、メジャーの石油供給の不安定さと
先行きの不安を憂慮していた最大の民族系石油会社社長、
出光佐三は、未曾有の巨大タンカー、20万トンの「出光丸」を
国内の造船会社に発注した。

番組はこの世界にも例のなかった困難な事業に
様々な努力と工夫の積み重ねで取り組み、
成功へと導いていく企業人、技術者たちの物語を淡々と描いていく。
まず、余りに巨大だったので、従来の鉄板では重くなりすぎ、
沈んでしまう(計算になる)。

例えば昔の建築物、橋梁などに巨大なものがないのは、
大きくするほど、そのものの持つ剛性と強度では
自身の重量を支えきれず、崩れてしまうからだ。
巨大な構造物は、その構成材料自身がとてつもない剛性、
靭性を要求されるのだ。

高張力鋼鈑という30%以上の強度を持つ材料を使用する案が浮上したが、
これは溶接の非常に難しい材料だった。
溶接個所がもろくなって強度が保てないのだ。
当時、海外のタンカーが航海途上で折損して沈没する事故があいついだ。
関係者にこの問題が重くのしかかったであろうことは想像に難くない。
鉄鋼メーカーの技術者もこれに協力し、
様々な試行錯誤から、溶接棒の被覆材を工夫することで克服した。
溶接自体、従来の数倍する熱が発生して作業拒否もあったらしい。
これも自動溶接器などを工夫してしのいだ。
余りに巨大な船体であり、作業中の歪みの累積が
これも長大な駆動シャフトの取り付けを困難にしたという。
ともかく様々な困難を乗り越えて「出光丸」は完成し、
初航海に出た。
中東では皆余りに巨大な船の出現に愕いたという。
オイルのコストは
1/3になり、世界の船主が争って
日本へ巨大タンカーの注文を集中させた。
後年世界第2位の工業大国になった日本の
発展の端緒になった重要なエピソードだ。

日本で優秀な技術と先見性、豪胆な企業精神を持った
企業家が輩出した時代の物語だった。

私の生まれ育った町には大きな造船所があった。
鎮守府と軍港のある町で、海軍工廠として発展した歴史があった。
終戦時、海軍工廠は民間に払い下げられ、
飯野海運がオーナーになった。

私自身の幼い頃の記憶では、
まだ溶接が発達する以前の、船体を繋ぎ合わせるリベットを打つ
轟音が4キロ離れた山向こうの工場から終日聞こえていた。

小学校5年の私はそこへ団体で見学に行き、
授業で作文を書かされた。
辛い思い出だった。
その私の作文がローカルの新聞に掲載された。
当時、さして感慨は湧かなかったけれど、
私はその切り抜きを知人2人から別々に貰った記憶がある。
家ではその新聞は手に入らなかったらしい。

造船不況に入って、工場は
日立造船が買い取り、
近年、更に外国資本が入ったと聞いた。
日立の当時、そこで働いていた私の工業学校の同期生が
過労死したと風の噂で聞いた。
確かに、彼は学生時代からきまじめな人間だったが、
それは尋常ではない死といえる。

造船不況はかくも苛烈な時代だったのだろうか。


62.山本貴嗣が創造する女性について


漫画家の山本貴嗣氏が最近HPをつくられた。
あちこちに書いたけれど、私は氏の漫画
にはまっているので、時々お邪魔してスケッチ
などDLさせてもらっている。
「雑文」に、女性観、といえば少し違うだろうけれど、
つまり、漫画家としての山本貴
嗣が描きたい女性、理想のヒロインの考え方、好みと
いうようなものが書かれてあって、興味深かった。
氏の理想とする女性は一に強さ、生きものとしての
完全さ(聡明さも含まれる)、美し
さを兼ね備えていることだと。
猫科の孤独な猛獣(例えば先史時代の凶暴な虎、
剣歯虎)などがイメージとして浮かぶらしい。
それに先だって強調されたのが、「かわいく」、「は
かなげ」な女性には興味がない、つまり創造意欲が
湧かないということだ。

ひとことで言えば、共鳴するところ大なのである。これは、
山本貴嗣氏の漫画を読んで
いる私などには先から予想できたことだった。中でも
剣の国アーニス」は、そんな氏の面目躍如たる作品だ。
ところで、私自身も昔からひたすら強く美しい女性を
主人公にでっちあげて、あやしい物語を沢山作ってきた。
彼女たちをひたすら想像上で働かせ、具体的に描写して、
あたかも彼女たちが文章の中で生きているかのように思い、
思わせることでつかのま満足を得てきた。もっとも、
まだ完全に満足していないから、私はなおこんなことを続けて
いくだろう。

上記の私と、山本貴嗣氏との趣味の一致は、何も、
偶然ではないとは思う。誰だって、ヒロインを、理想の女性を
思うように創造(想像)しようとしたら、そうなってしまうの
だろう。これまでそんな女性があまり書かれてこなかったのは、
ひとえに想像力の貧困だったのだろうと思う。
男性の主人公は昔から強く、美しく、何よりも神のように聡明だった。
反面、女性はおとなしく、男より弱く、危機に臨んでヒーローに
助けてもらうものと決め込んでいたのだ。
それは、ある程度正しかったし、男社会の中で書かれる以上、
女はより弱い方が都合が良かったのかもしれない。何にせよ、
最近は、男より強いヒロインがごまんと登場している。
世の中は変わったのだ。

付記させていただければ、私は、「可愛いく」て、「はかなげ」な
女性もまたヒロインにうってつけだと思っている。「強く」て「美しい」
ヒロインの属性とそれらは、何も矛盾しないし、更に人間としての
存在感を強調させることになるかもしれないとすら思っている。
もちろん、まだ私には、そんな人間味のあるヒロインを
創造する力はないけれど。



    61.  掲示板

 

  10万ヒットを契機として、「掲示板」をこしらえた。
自分の天領に異質のものが入り込んでくることにいささかの抵抗が
あった偏狭な私は、長いあいだこれを設置することに抵抗を感じていた。
非常識な輩の暴力的な書き込みによって荒れ果てた、無残なBBSを
幾つも見てきたことも、ある。もちろん、その数倍する、楽しく暖かい
交流の場になっているサイトも知ってはいたけれど。

  55で書いたように、チャット仲間の要請があったという
事情があり、私も、せっかく我がサイトを訪れてくださった方が、
思いついたコメントを腹にもたせたまま去っていかれることが
あれば、申し訳ないとも思った。第一、私は他サイトのBBSを
随分利用させていただいている。書き込みの楽しさも重々承知
しているし、これは年貢の収め時だと思ったわけだ。シンプルな
ものだけれど、設置した結果、ご覧のとおりの繁盛ぶりで、実に
うれしいことだと思う。毎日このBBSを覗くことが楽しい日課の
ようになった。わが作物へのお誉めの言葉もいただき、
ありがたいの一語に尽きる。

  しかし、気懸りもある。

  私のサイトは概してアダルトであり、ことにその
大半をなす小説類、ややこしい疑似評論のたぐいは、やはり
明るい常識的世間の目には余り触れさせたくない、特殊な、
ねじけた精神の所産といわねばならない。だから、最初のアップに
ついても随分悩んだものである。いわば開き直りの精神で
これらを公開してきたといっていい。ネットの持つ匿名性がこの
場合随分力になったことは否めない。だから、もちろん大方の喝采も、
社会的な評価もあろうはずはないと、今でも思っている。

  その中で、全く稀ではあるけれど、好意的な感想の
メイルに接するのは実に嬉しい。HPを作った甲斐もあったと
思う。それらのメイルは、数も少ないし、私の特殊なカラーを
重々承知して、それを楽しんで戴いて貰っている読者諸氏で
あるということが感じられる。私はそれらに感謝しつつ、更に存分
自分の侫想を押し進め、存分に従来路線を発展させる再生産の
意欲が湧いてくるのである。

  「掲示板」でも、もちろんそれは言えるのだけれど、
上記の読者諸氏が、メイルしようかどうか、という決断意識と、
「書き込み」の意識とは、わずかであれ違っているのではないだろうか。
少なくも、敷居が低くなった、書き込みがし易くなったということは
言えると思う。その分だけ上下一般に広くなったということだろう。
更にマニアックな読者からの声も聞けるようになるし、その反対に、
常識世界に近い立場からの書き込みも増えるのは成り行きだ。

  もちろんそれは素晴らしいことだけれど、また、逆に、
私に対するプレッシャーとして働くことは否めない。読者の幅と精神が
広がり、より常識世界に近づくことで、「更に存分自分の侫想を
押し進め、存分に従来路線を発展させる」ことが継続出来るか
どうか。また、こと自分の精神がねじまげられて、更にどぎつい
世界への迎合、堕落へと向かう危険はないか。

  結局、これは私自身の精神のありように帰着する
問題なのだろう。いずれに向かうにせよ、サイトは民主々義の世界ではない
のだ。キム・ジョンイル氏率いる北朝鮮のように、厳しい一党独裁
専制王国なのであり、そうあるべきなのだ。少なくも私のサイトは
そうあろうと考えている。腰が引けないようにしていきたい。

      我こそは(新)島守よ  沖の海の  荒き波風心して吹け    後鳥羽院

 


 

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