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160) ‘05 の回顧

年末にとうとうXPがおかしくなったので、リカバリーをした。一年ぶりだった。時々はやらなければ、忘れてしまって出来ないことになるので、これはまず、想定内のことだといっていい。XPは最初からCDでクリーンインストール出来るので、作業そのものは楽だった。ただ、そのあとのさまざまな再設定は以前と同じ手間だから、やはりわずらわしい。結局半日ちかくかかった。年末はそのほかにも階下のプリンターがとうとう動かなくなり、買い換えた。キャノンのip8600 結構高かったけれど、前の安物のBJ6100とは比べ物にならない、いい性能だ。発色がいいし、ともかく最初からトラブルなく印刷が出来たのはなによりだった(前のやつには苦労させられた)。
無線ランで階下のaptiva(IBM)とつなぎ、ファイルの共用をある程度成功させている。プリンターが一新したことで、この共用化もやりたいと思ったのだけれど、うまくいかない。私の持っている参考書「自宅で2台以上のパソコンを繋げたいひとの本 田中裕行 技術評論社」によれば、98(アプチバ)では駄目で、98でも98SE以上が必要らしい。去年まで使っていたノーブランド品のPC(Me)を98に置き換えてやろうとしたのだけれど、このインストールがフォーマットからつまずいて、うまくいかない。一年も放置するとサーキットが悪くなるのだろうか?

TVキャプチャーもまた年末にまったく用を成さなくなって、買いなおした。こんどのやつはIO-DATAGV-MVP/RZ おなじく以前のやつよりも倍以上したけれど、ヴィデオを見ても画質がまったく違う。画面いっぱいにしてもさほどの劣化が感じられないほどで、これも技術の進歩があるのだろうけれど、よかったと思う。画面取り込みも楽だ。

機器については年間通じて泣かされたというようなことは、今年はなかった。となれば、さぞかし創作活動がはかどったろうとつっこまれそうだけれど、これがさっぱりだった。
激白についてはかつかつペースを維持できたけれど、まとまった評論は映画評以外に書けなかった。小説に関しても、大きいものは書き出しも出来なかった。いま連載しているのは5年前のものを手直しして出しているだけだ。昨年のほうがまだ充実していた。何か、新しいおおきなものを構想しなくては、いずれ連載に支障が出る。
HPを2本立てにして小説(物語舘)とコラムなど(妄呟舘)を分けたことはよかったと思うけれど、まる一年を経過し、期待されたおたがいのヒットの伸びはなく、むしろ下がった。妄呟舘などは20/日という少なさだ。年間一万ヒット以上という最初のもくろみにははるかに届かなかった(7500たらず)。またあちらこちらの検索サイトに更新手続きを始めればヒット数は回復すると思うけれど、怠惰が足を引っ張っている。

メインサイトの容量に不安を感じたので’01年当初から置いているいくつかの作品を下ろした。とたんに何人かのファンから下ろしたテキストの希望があったのはうれしかった。これも最近の光BBの開通もあってHPの無料メモリー部分が飛躍的に増えていることから、近々に戻そうと思う。申し訳ないことだった。

念願のブログライブドアの無料サイトにはじめた。続く限り毎日更新している。これも思ったほどヒット数は伸びない。違法でなく、一般の反発を引き起こすことなく、興味ある記事を続けて書いていくことは、なかなか困難なことだ。さて、以後どんなテーマを選べばいいのだろうか。


(159)安全かみそり

以前も書いたけれど、この11月に父の13回忌の供養をした。今年の出来事の中で一番目に記すべきことだろう。いや、これはネットには直接関係ないのだけれど、私自身の存在理由(どんな経緯で私がこの世に生きることになったのか?)としての父の人生を考えていたわけで、父の人生が私に及ぼしたこと、そして私自身の人生の問題との3題噺は、しんきくさい面もあるけれど、なかなかひとすじなわではいかない問題なのだ。父の人生とは何だったのか、そして私の人生はどうあるべきか。
故人の回忌供養というものは、実利主義からいけばそんな場を与えてくれるという意味があるのだと思う。故人の人生を思い返し、自身を省みるための参考にする。父の場合、自分の遺伝子にもっとも近似した人物の全存在を見つめ、良くも悪くも自分と似たところを再確認し、これからの人生を(必要ならば)それらで軌道修正する。

父よりもよくありたいと思う子供の感情は自然なものだろう。向上欲は誰にでもあり、正当なものだ。父が偉大であればあるだけ、子供の心的負担はより大きくなるだろう。父が矮小であればそれはないだろうけれど、故人をそんなふうに思うことで驕りが出るのは避けねばならない。いや、一般論として言っているのだけれど。

あまり深刻な話にはしたくない。父に関係したことについて、今年、私は自分の髭をレザー(安全かみそり)で剃ることを覚えたことをあげておく。
父は髭が濃かった。何度か私は電気かみそりを父に贈ったのだが、国産のそれらは殆ど使われなかった。髭が濃く(一本一本が太く)て、非力なモーター式の国産シェーバーは毛を噛み込んだまま止まってしまうのだ。辛うじてドイツ製のブラウンが父の髭に用をなしたので、時折はそれを使っても居たけれど、大抵の場合、安全かみそりで髭にあたっていた。父は若いころから身じまいには気を使う種類の男だった。無精ひげを生やした父を見たことがなかった。
若いころからの習慣で、安全かみそりに慣れていたはずだけれど、父はいたって不器用なところがあって、よくそれで肌を切り、血を流していた。それは頻繁に見られることだったし、老年になっても同じだったように思う。
私は父に似ず、髭が薄い。ほとんど消しゴムで消せると冗談で言われるほどで、しかも身辺に気を使わないことでもあり、若いころから電気かみそりばかりを用いていた。父がレザーで肌を切り、血を流すのをよく見ていたことで、私はそれに恐怖心を抱いていたのだろう。この歳になるまで安全かみそりで自分の髭をあたるというアイデアはまったく持たなかった。
歳を食ってますます不精になった私は、一週間に一度というほどの髭剃りの頻度になり、電気かみそりでは剃れない長い数本の髭を残すことが多かった。

今年の初夏の個人旅行で、そんな事情からやむなく電気かみそりではなく、ホテルにあったサーヴィスの安全かみそりをおそるおそる使ってみたところ、悪くない、と思った。うまく髭が剃れる。時間はかかるが剃り残しがなく、すべすべになって至って快適だった。怪我もしない。これは使える。便利なものだ。どうしてこれに気がつかなかったのだろう。
また思った。なぜ父はこんなもので切り傷を作ったのだろうか。


いわゆる安全カミソリという髭剃り用に開発された工業製品、薄い両刃の刃物について、私は職業上いささか専門の知識を持っている。私が社会に出た四十年前ころを境にして、この刃物は大きな技術的変革を遂げた。つまり、それまでの工具用炭素鋼から刃物用ステンレス鋼へ、構成材料を転換したのである。
髭剃りには水を使うことが一般的であり、以前の炭素鋼は、硬度はむしろ高いけれど、水分が刃先につくとすぐ錆びがはじまってエッジがこぼれる(刃先ががたがたになって切れ味がひどく落ちる)のに比べて、ステンレス鋼は錆び難い上に粘り強いために刃先の欠損がなく、従来とは比べ物にならない切れ味を維持できるようになった。
つまり、この変革によって、安全カミソリはこれまでの使い捨てから、同じ刃が何度も使える、耐久性のあるものへと変わったということだ。
そんな品質の向上が、レザーのより広い普及を促し、周辺技術の発展を促し、怪我をしない安全かみそりの発明と一般化をもたらしたのだろうか。父は、単に不器用だったということ以上に、残念なことにその変革の恩恵を受けられなかったということなのか。このあたりは単なる推測であるが。

現在、私は電気かみそりと同頻度でレザーを使っている。まだ逆剃りはできないけれど、それにもいずれチャレンジしてみたいと思っている。





158)ひかり

ひかり」で思い出すのは、子供のころへヴィースモーカーの父が喫んでいた紙巻タバコ、ピースなんかもあったのだけれど、缶に入っていて高級感があったし、安サラリーマンだった父には「ひかり」が似合っていたのだろう。今はないレーベルだ。私は喫煙に関する限り、幼少からずいぶん2次感染をしてきた。職場でも嫌煙率はずっと低く、たらふく喫わされた印象がある。だから煙草に関する限りもう十分なのだろう。自分では20以降まだ一本も喫ってはいない。

電話勧誘が頻繁だったので、ついに自宅にも「光BB」を入れる決断をした。工事費無料、向こう一年間は格安で、一年後に契約を見直す(解除も可)という条件でOKをした。
TV
もネットで見れる、つまりCATV同様の条件が作れるという触れ込みだったし、取っていた12MADSLもいまひとつぱっとしないので、光にすれば格段のアップがあるだろうという期待もあった。
NTT
西日本フレッツBBファミリー100というやつ。100メガーとはすごい、と思った。ヴィデオのネット配信だってあっという間だろう。
12/17
に工事がはいって、とうとう我が家も、という感慨があった。2本の強化コードに挟まれた毛髪ほどの太さ、頼りないほどに細い一本の光ファイバーが、定石どおり電話線の導入パイプから差し込まれ、さほどの面倒もなくモデム(ONU)につながり、ルーターを通してわがPCに繋がった!
ネット生活丸5年にして、外部環境に関しては頂点を極めたわけだ。

さて、使い始めたけれど、どうも早いという感じがない。サンプルムーヴィーもさっと入ってくるようでもなく、少しは早くなったかな?という程度だ。こんなはずではなかった。

サイトで伝送スピードを実測してくれるところがあって、そこで測ってみた。

結果は燦々たるもの、いや、散々(惨々)だった。ルータからコードで繋がった98のPC(家族用)は2.4Mb/ほど。無線ランで繋いだ2階のXP(わがPCだ)はむしろ早くてかつかつMbくらいしか出ていない。サイトのコメントにも、これは非常に悪いですね、通常なら20〜30Mb/sくらいは出るはずです。周辺の機器を見直して見てはいかがですか?とあった。

ADSLのときは、12Mの触れ込みだったけれど、900Kbちょっとしか出なかった。これはNTTの中継地点から距離がある(3Kmと少々)から、仕方がありません、といういいわけだった。確かに電話線を利用したネット伝送は距離による減衰があるとどこでも書いてある。しかし、光伝送では、距離には無関係、とあるのである。100メガーの幻想はどこへ消えたのか!?

最初のダイアルアップのときはせいぜい5060Kbくらいだったと思うから、ADSL900Kbは、それでも凄く早くなった印象だった。電話線を光にした時点で、そのサプライズ以上の違いがあるものと思っていたのだけれど、これはまったく思惑はずれ、がっかりだった。どこに問題があるのか?

プロバイダーのDIONさんに聞いてみたら、PCを身軽にしてもう一度確かめてください、それ以上のことは(施工責任者である)NTTさんに問い合わせてください、とのこと。
たまたまXPがトラぶってダウンしたので一年ぶりにリカバリーをした。クリーン・インストールだったから、そのクリーンな時にまた速度を測ってみた。結果は少し上がったけれど、3.8Mb さほどの差はなかった。
クレームに対応してNTTのひとが来てくれたようだけれど、私は会えなかった。彼が残したメモによれば、ONUで測定(GOOスピードテスト)18Mb、ルータで測定(同じく)12Mb、とあった。ルータの直後(直前?)までは12Mbで来ているということだろうか。それならなぜ肝心のPCで1/4まで落ちるのか?それに、光ネットの前提では幹線がギガレベルで、加入者レベルでも最大100Mb、でなくても最低30Mbは確保できるということではなかったのか?(そうサイトではうたっている)。
大型電器チェーンで光(YAHOO BB)のキャンペーンをしていた女性に聞いてみたら、
彼女はADSL50M)で現在4Mbくらいは確保しているという。しかもPCは最新ではなく98で、はっきりしないが私の5年前のやつよりもまだ古いことは確からしい。
PC
の遅さはあまり関係ないようなのだ。それに無線LANもブレーキにはならないだろうとおっしゃる。
彼女に責任はないけれど、私の遅さに対して何の解答も得られなかった。もし、いい解答が引き出せたら、来年はYAHOO BB に乗り換えてもよかったのだが。

何にせよこのままではおさまりがつかない。もう一度NTTさんに当たってみよう。

 

 



157)京都議定書

私の記憶では、子供のころの地球の未来観としては、寒冷化が主流だったように思う(手塚治虫の名作「0マン」ではそれがひとつのテーマだった)。理屈としてはその(今も含め)時代が間氷期(氷河期と氷河期の間、厳密に言うと氷河期の中での束の間のゆるみ)であり、いずれまた厳しい寒冷化が来る、という説と、文明が、つまり人間が活動することで発生する細かい粉塵が大気を汚染して、太陽の光熱の恵みが地表へ達する効率が下がる、つまり地球の気温がさがる、そんな説もあった。

どちらもたいしてしっかりした根拠に元づく正確なものではなかったようだ。

ここ20年、もっぱらCO2の増加による温室化現象が声高に言われている。これは実際の測定結果によるもので、結論は以前の説とは逆だけれど、根拠はあるのだろう。問題はCO2の増加が人間の営み、工業化を主とする活動によって近年加速してきたということなのだ。そこで、世界各国が現代文明自体を見直し、温暖化防止のために結束して対策を議論してきた。

これは素晴らしいことだ。そういったことが出来るようになったということは、世界連邦成立への一歩だと思うからだ。

もちろん、簡単なことではないだろう。呉越同舟、年中喧嘩ばかりしてきた国家群、人種と言葉、そして宗教の異なる雑多な人間たちが、すんなりとひとつの目標に向けて歩調を合わせられるわけはない(戦争をやめようという自明で単純な目標ひとつにして、なかなか一本化できない、情けない人類なのだ)。本来、彼らはエゴイズムの固まりなのであり、よほどの共通した利害がない限り他国よりも良くなろう、他国を踏み台にしてでも抜きん出ようという輩が主流であることは自明なのだから、こういったずっと先の不分明な不利益を想定して現在の楽しみを諦める、欲望をセーブしていくということが、いかに困難なことであるかは誰にだって想像はつく。
案の定というか、なかなかこの問題は世界が一本化されるということは難しかった。そんななかで目標と実施策に一応の結論と一致を見た‘97の「京都議定書」とその発効(’05。02)は大いに評価されてよいと思う。とはいっても、大国アメリカの離脱やら、発展途上でありながら実質的に大きな割合を持つ中国やらインドなどの勝手なふるまいを容認しての出発だから、成功とはいえないという意見が多いのも当然かもしれない。
日本を含めて随分ハードルの高い目標を掲げた(アメリカなどを除く)先進各国、彼らの姿勢が、果たして本気なのかどうか、といううがった見方もある。実際、議定書の各国のCO2削減目標の比率(欧州8%、米国7%、日本6%など)に根拠がないことは周知の事実であり、アメリカの拒否は論外としても、日本の実績は90年比で下がるどころか大幅に増えている(‘04年度は7.4%増)のが現実なのだ。

11/
29の毎日新聞[記者の目」に「議定書目標疑ってみよう」という記事が出ていた。「人為的温暖化論は真偽不明」というサブタイトルで、近年のCO2濃度上昇と温暖化傾向に人間の活動が原因しているという前提には疑問があり(特に温暖化について、多くは太陽エネルギーの周期的な変化、地磁気の変動、雲、微粒子の存在など多数の要因が複雑に絡み合った現象なのだろう)、従って議定書は非科学的であり、CO2排出権取引などの「京都メカニズム」は虚構によりかかった一部諸国の妥協の産物ではないか、と書かれている。

本文によれば、地球上の自然界にあるCO2は40兆トンと推定され、その中で年々形を変えて動き回るもの(フローとしてのCO2)は1200億トン、対して問題の人間活動に起因するCO2は5967億トンと試算されている。全体を流動資産として捉えても人間が責任をもつべき分は2%ほどであり、他の自然界の収支に増減があれば容易に相殺されそうな比率なのだ、と。
CO2の排出削減では、排出権取引きなど「京都メカニズム」の全過程で毎年数百億ドルが動くという。コストは各国政府がまかない、関連ビジネスで企業などが稼ぐというお定まりの構図だ。何のための、誰のための環境政策なのかと疑われるのも当然だろう。

もちろん省エネ、環境対策は未来の地球のために必要不可欠な理念だ。しかしこのままではコストばかりかかってしまう無駄な楼閣造りに専念するだけで終わってしまうのではないか。各国のロビーが安直に妥協を重ね、お互いに財布の中身を見て勝手に動く前に、もっと科学的なフィードバックを重ねて、皆に納得のいく結論と目標を出してほしい。

 



(156)薮原検校

 パンフ

地人会特別公演を観た。 劇作家井上ひさしの出世作になった「薮原検校」(‘73初演 木村光一演出 美術 朝倉 摂 音楽 宇野誠一郎)、時は江戸、田沼時代に設定された盲人の底辺世界のどろどろを猥雑に笑いのめした、異様なブラックユーモアに満ちた時代ミュージカル犯罪劇。悪あがきが殆どであるが、生真面目な渾身の努力もある、辛うじて人間賛歌にもなっているのは、暗いテーマの中で多少救いもあるということか。隅から隅まで鬼才の自由奔放な想像から生まれた異風ファンタジーである。

まず舞台の袖でギターが奏でるじょんがら三味線風の伴奏(水村直也 劇全編を通して聞かれる)に魅了される。次いで語り手盲太夫(金内喜久夫)が描き出す東北地方での座頭の生き様、それこそフィクションとしか思えないような凄惨なイメージのふくらみ(そのころ、座頭の数270余が東北の村々を渡りあるいては芸を見せ一宿一飯にありつく、ただでさえ貧しい村々はその重圧に苦しみ、彼らをひそかに池や沼へ追い落とすなど、生活のための自己防衛の犠牲になったりして迫害されるものもまた多かったと)、盲人たちが踊り狂い、唄う(殺しのうた、流山のうた)賑やかで奔放な場面はまことに愉しい導入部である。最初から最後まで八本の綱だけで構成される単純で抽象的な舞台装置も意表をついて秀逸。

東北は塩釜で不孝の星の下に生まれた盲目の男杉の市嵐広也は子供のころから座頭のもとに弟子入りして技能を磨くけれど、親譲り生まれついての強欲、悪党で盲人としての頂点検校(これは金で地位が買えるという、これは史実だろうが、現代の社会一般への厳しい批評にもなっている)を目指すためにせっせと悪事非道を働いて金を得ることに専念する。その甲斐あって薮原検校に弟子入りしてからもめきめきと頭角を現し、その信任を得て時機を見、主人を殺して2代目になろうとするが、積み累ねた悪事がばれ、なるまえに逮捕されて、杉の市時代に無視した同じ盲人学究の検校塙保己市(松本きょうじ)の提案による見せしめの無残な酷刑で刑殺される。同じ虐げられる立場同士のむごいキャットファイトといえないこともない、これを強いた松平定信の残酷さを思うべきだろう。最後の巨大な人形による処刑場面、3段斬りと、切られた胴体から垂れ落ちる蕎麦の麺は何を表わしているのか、それとも単なるギャグ落ち?スペクタクルとしても面白いアイデアではあるけれど。
ともかく3時間の長丁場を時間も忘れて愉しめた。以前見た「花よりタンゴ」よりも数段よく出来た芝居だった。面白かった。


(155) ヨーロッパ特急

鉄道を利用した旅には普段読めない本を携えて行くことが多い。結構これが読める、あるいは読破するきっかけになることが多い。深刻な大著だって文庫本なら持っていくことは出来る。故郷で行った父の13回忌供養の旅は新幹線で往復したので、読みかけて放ってあった新書版の「ヨーロッパ特急 阿川弘之著 S38・9 (1963・9)刊 」を携行した。

私はかつてどこかの紀行文章で「内田百閧フ衣鉢を継ぎ--」とふざけたことがあったけれど、かの阿呆列車百鬼園先生の正統はこのひとが継いだといっていい。このひとの上品なユーモアと乗り物全般に関する該博な知識は定評がある。それで、この本を古書店で見つけた時は嬉しかった。そのひとの若書き(42歳、若いとは言えないが)の赤げっと(既に何度も外遊している氏であり、そうもいえないだろうが)、痛快な世界漫遊記。

私はこの種の旅行記の名作として何でも見てやろう 激110」と「どくとるマンボウ航海記(高校時代に耽溺して読書の楽しさを知らされた)」それに「深夜特急 激100」を知っている。それぞれに特色があって面白かった。この三作はそれぞれベストセラーになったようだし、大げさでなく歴史的にもエポックメーキングなものだった。この阿川作品はそれらに比べればその時期大きな話題になったとはいえないだろうけれど、やはり名作だといっていいのではないか。他の三作品が、作者の青春のすべてをぶっつけて書かれた渾身の力作だったのに対し、これはいささか中年に達した作者のレジャータイム、金にあかした趣味三昧の、息抜き仕事といえるのかもしれないけれど、作者なりの身体と精神をぶっつけた面がないでもない、氏の中庸思想が見えてくる、決して軽くはない旅行記だった。面白かった。

何よりもも書かれた時期がいい。東京オリンピックを控えて世界に羽ばたく日本の勃興期だ。この時期、日本は東海道新幹線(世界で始めての超高速鉄道)や名神自動車道(日本で初めての高速自動車専用道路)をオリンピックに間に合わせるべくおおわらわで作っていた。氏はそんな日本を携え、後にして世界の先端的交通事情を見物に出かけた。

氏は冒頭言う「いい歳をして乗り物が好きだなどとひとは笑うけれど、ジェット機や高速道路を抜きにして現代史は語れないのではないか?」と。そして、日本ではまだその両方が未整備だった。
この時期、なお海外旅行はエリートのすることであり、氏もエール・フランス東京―ローマ便を皮切りに、文字通り世界の空、海、大陸を股にかけて、一般人にはとても経験できないような様々なハイソの旅客経験を重ねていく。それは国際便旅客機での操縦席見学だったり、まだ試験段階だったホバークラフトの試乗だったり、米NASAでの宇宙飛行ロケット打ち上げの見学だったり、大西洋横断豪華客船クルーズだったり、米大陸横断貨物列車便乗だったり、ニューヨーク摩天楼の世界一早いエレベーター搭乗だったり、まったくめまぐるしい。とてもここに全部書き抜くことは出来ない。
当時まだ東西冷戦真っ只中、西ドイツのアウトバーンを利用してレンタルしたワーゲンを駆り深夜の東ベルリンへ無許可潜入し、見物して戻ってくるという「決死的」冒険をやってのける場面は作中の最も緊迫する部分である(まかりまちがえば、国境警備兵に銃殺されかねない)が、氏ならではの離れ業だろう。

この旅行記が文明評論になっている部分は多いけれど、それは東西ドイツでの体験、学生時代の恩師との果たせなかった再会、ソ連での不愉快な体験、パリでの不愉快な体験、そしてドイツやらアメリカでの快適な体験、またシカゴから便乗した100輌連結の長大貨物列車での米鉄道事情なども興味あるルポだった。
イタリアの豪華客船レオナルド・ダ・ヴィンチ号のファーストクラスでたった一人の東洋人代表として大西洋航路を満喫する(美しいイタリア娘との絡みは氏の面目躍如たるものがある)あたり、交際下手の日本人としては当時も、現在だってこんな経験を彼らに伍して平常心で出来る人間は多くないのではないか。この船がカンヌに停泊した時、たまたま港で出遭った米海軍の航空母艦「エンタープライズ」、それを見た米人たちが悦び騒いでいるのを見、かつて氏が所属し、滅び去った連合艦隊のことを思い出してちょっと口惜しい気分になった、と書いているのが目を惹いた。
立派なふねですね。だけど、日本の『信濃』の方がもう少し大きかったんじゃあないですか」と、そんなことを(米人たちに)言ってみたいような気持ちになるのである。少なくとも乗り物好きの人間の心情としては、無謀ないくさで海底に捨ててしまった、かつての帝国海軍の艦艇400隻、あれは余りにも惜しい存在であったような気がするのである。

阿川氏は戦後一貫してそんな率直な心情を「春の城」から「山本五十六」などの戦記ものに書いていたようで(一度読んでみようと思うが)、戦争懺悔とアメリカ一辺倒の風潮のなかではずっと異色の存在だった。当時は作家仲間からもうろんな目でみられたようだけれど、今思えばそれは節のある立派な態度だったと私などは思う。これは戦後23年目にして書かれたものだけれど、米国旅行中にも氏の戦争体験(海軍士官だった)が強いる硬派の気質が旧敵である彼らとぶつかる場面はいくつかある。戦後60年経って、ようやく氏の考え方へ、世間が収斂しつつあるようにも思えるのだけれど。
氏の息子さんが毎日新聞に靖国問題で書かれていることもこの方向で首尾一貫しているのは、けだし当然かもしれない(激白154)。

蛇足。
この本を、戦後日本の象徴のひとつである新幹線「のぞみ」の300Km/hの車内で読んだのも偶然だといえるのかどうか。氏はどうも新幹線には好感しないようだったけれど、それも単純なマニヤとしての、趣味の問題だったと思う。


















蛇足、その2

読売新聞11/19 に阿川氏の全集刊行とインタヴュー記事「鎮魂60--野太く貫く戦争、敗戦への思い」があった。「氏は敗亡した祖国日本の葬式をたったひとりでやってこられたのである」という半藤一利氏の言葉が引用されている。これも偶然なのだろうか



(154)代弁

いろいろ憂鬱な日々が続く。小泉首相は靖国神社に参拝することをやめず、国際関係の悪化、特に中、韓は反発し、また与党内で憲法改変の動きが具体化してきた。北朝鮮との会談は動き出したが、国連で取り上げられ始めた拉致問題に関して北の激しい反発があり、日本と不毛の応酬も繰り返された。沖縄の米軍基地移転問題も、県自体の意向を無視するかたちで話は進みつつある。いや、何も進んではいないということだろう。
北方四島の問題も、ロシア首相の来日はあるようだが進展する見通しは全くない。国連安保理への日本の参加も多くの反対国が出て暗礁に乗り上げている。日本は米国に次ぐ巨額の分担金をネゴるぞ!という搦め手で対抗しようとしているが、やけくその感がなくもない。


なぜ日本はその国力に応じた発言力と尊敬を国際社会で得られないのだろうか?。国連分担金(国民の財力の正確な反映だ)など、中国とロシアを合わせた額の十倍近いカネを払っているのだ。なぜ二十分の一の貧乏国から自国の官幣神社に参る国の長がその殊勝な無辜の行為をくそみそに罵られなければならないのだ。なぜだ?全く不条理ではないか。
そんなことを思っていたら、11/2の毎日阿川尚之というひとがエッセーを出していた。一読、納得した。まさに私の思いを代弁している。「小泉首相の靖国参拝」という一文だ。内容をかいつまんで紹介する。

阿川氏は首相の靖国参拝には消極的賛成という立場だ。氏自身は靖国神社を,あまり好きではないといいつつ、他国の反対があったからといって、首相がそれで参拝を取りやめれば、向こうが外交上の得点を得るだけで、こちらが有利になるというわけではない。むしろ混乱を呼ぶだけだ、という。以前中曽根首相が参拝を取りやめたことがあって、これが悪い影響を今日まで及ぼしているので、この愚を繰り返すべきではない、というわけだ。確かに、日本はこれまで腰が定まらず、何事もあいまいなままで収めてきたし、揺れ続けてきた。このへんでひとつなり内外に節を通して毅然たるところを見せてやりたい。ま、ちいさいことだけれど、小泉さんはそう無言で示しているように見える。

また、これに関連して阿川氏はこうもいう。首相は十分(先の戦争に)反省の意を示したというかもしれない。しかし、まだ何かが足りない、と。中国や韓国が靖国神社を非難するたねとして、日本人が本当に心から先の戦争を総括していないことがあるのであり、その証拠として東京裁判でのA級戦犯をそこに祭って尊崇していることをあげるわけだろう。彼らにしてみればとんでもないことだ。ま、わからぬでもない。

阿川氏はなお言う。私はいわゆる自虐史観の持ち主ではない。先の戦争で日本だけが悪かったとは考えないし、東京裁判が正しい判決を下したと必ずしも思っていない。

とはいっても、これ(国際裁判の判決)は歴史的な事実であり、彼らから見れば、やっぱり負け犬の遠吠えに過ぎぬと思われるだろう。ではどうすればいいのか。

国際裁判は国際的に認知された判断だろう。日本はそこで処断されはしたけれど、しかし、心からそれに納得したわけではない、というスタンスがずっとあり、これがくすぶって中韓に猜疑の念を起こさせてきた。だから、これとは別に日本自身で先の戦争を具体的に分析し、失敗の原因を作った指導者を特定して、責任を取らせるということをしなければならない。そう阿川氏は言う。あいまいにしたままに捨ておけば、いつかは忘却の彼方へ消え去ってしまうだろう、と考えている面が多いのだろうけれど、そうはいかないだろう、というのが氏の主張なのだ。それは辛いことかもしれないけれど、やっぱり通らねばならない道なのだ。それが出来れば、靖国問題などただの心の問題に成り下がってしまうだろう。

憲法改定問題で、国民は正規の軍備を持つことになお懐疑的である、との統計が出たそうである。馴れない力を持てば試してみたがる、使いたがるものだ。だから、こんなものは持たないにしくはない。まだまだ民意も捨てたものではない。日本人は健康的だと思う。



(153)シン・シティ



久しぶりに映画を観た。アムロなんかをイメ・キャラに持ち出してしきりにキャンペーンを張っていた米映画「シン・シティ」。結構ヒットしたようで同慶のいたり、というのもおかしいけれど、アムロ似のジェシカ・アルバ、こんな娘には結構弱かったりして、ま、彼女たちのためにヒットしたのは結構だった、といったような気分なんだけれど、こう書くとどうもアムロとJ・Aのために観に行ったような印象を与えかねないのはちょっとまずいかもしれない。もちろん(!)そうではなく、知人が珍しくいい評点を与えていたもので、暇つぶしもあって覗いてみたということだ。

アメコミの映画化だという。こういうことにも興味はあったけれど、結局こんな映画が作れるようになった背景にはCG、コンピュータ技術の高度化があるのだろう。未来?の荒廃した都市の片隅で愛のために体を張って悪と戦う3人の男(リタイアまぢかな真面目老刑事B・ウィリス、犯罪常習者で野獣的ならず者のM・ローク、娼婦街の雇われ用心棒C・オーエン---彼はなかなか好感の持てる役所広司似の俳優だ、ま一番得な役柄だったが---の物語、オムニバス形式になっているけれど、これらは一応お互いに同時進行したり、中子になって関係したり、絡まったりしている。そんな複雑な筋もさほどそれ自身意識的にうまく料理(すればそれなりにもっと面白く創れたのかもしれないが)されているわけでもない。ともかく元ネタがアメコミなんだから、深い味わいなどは求めようとして求められるわけもないのは決まったことだ。ただアクションがマンガチック(めちゃくちゃにやられてぶっとばされても、また元気に蘇って反撃したりする痛快さ、超現実的な暴力シーンの連続、だから、ひどい血みどろ、生首を切断したり、内臓をひきむしったり、脳天に撃鉄をめりこませたりといった場面も妙にいやらしくない)に割り切って作られてあり、それらがさほど不自然に見えないのは技術の勝利なのだろうか、それとも私が漫画世代だからなのか。こんなところは映画の新鮮な可能性を思わせた。

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R指定ではあるけれど、そしてそれ相応に残虐シーンも沢山ちりばめられてあるのだけれど、女たちはみな魅力的で美しく、めちゃくちゃに強く、男たちが(お互いに)どんどん虐殺されるのに比べ、さほど汚されるわけでもないのは米映画の良心的な面なのだろうけれど、物足りない面もある(JAのストリッパーに期待して入った男たちは少なくなかっただろう。そして見事に裏切られて口惜しい思いをした男たちも少なくなかったはずだ。しかし、それが誇大広告だ,詐欺だと騒ぎ立てる男たちは殆どいないだろうことも確かだ。思えばJAに妖艶なヌードダンサー役など出来るはずもないし、見たくもないというのが男たちの本音なのだろうからだ)と思うのは私的偏向的な見方だろうか。
原作(フランク・ミラー 映画制作にも係わっていたらしい)はネットでちらっと見た記憶があるだけだけれど、女殺し屋ミホ(デヴォン青木などのまんじ手裏剣つき二刀流剣士が出てくるあたり、やっぱりコミック文化の先達日本への敬意というか影響が見られて興味深い。



152)週末おろち旅行

30年以上昔のことだけれど、初めてマイ・カー(トヨタ・パブリカ1000CC)をゲットし、それで帰省したことがあった。PM900出発、九州から山陰の海岸線を辿り、若狭湾の故郷まで700Kmあまりを26時間かかって帰った。まだ西日本には高速道がなかった時代で、主に9号線と191号線を通ったのだけれど、国道とはいえ、特に191号は自動車が安心して走れる区間が少なかった。漁港の渚のそばを民家の軒先すれすれに徐行したことがあったし、深夜、たまたま直線区間が続いてスピードを出していたら、90度のコーナーが唐突に現われて曲がりきれず、振った尻から崖へ滑落しかけ、自力脱出に3時間近く費やしたこともあった(その間、救援を頼みたかったが、全く通過車はなかった)。

こんなことを思い出したのは、先週、山陰山口の川棚温泉へ一泊旅行したからである。久しぶりに同じコースを(一部)走った。もちろん191号線道路はよく整備されていたし、昔のようなことはなかった。しかし、良く似た経験もした。今度初めて走った国道、小月インターを降りて長門方面へ向かう国道491号線、特に貴飯峠というのだろうか、狗留孫山を越えるあたりの山道は離合が困難な、狭い危険なカーブが延々と続き、実際、何台かの対向車と出遭ったときは難儀した。山口県は明治以来有力な政治家が輩出しているはずであるし、こんなインフラの未整備箇所があるのは意外だった。もっとも、県庁のある山口市も、さほど元気があるとはいえない。特に県庁舎の見事に博物館化した古色さびた姿は好印象だった。いや、これは今度の旅とは関係ないが。

川棚へいくのに貴飯峠を通る必要はさらにない。温泉へ行く前にちょっと見ておきたかったものがその先、更に435号線へ乗り換えて豊北町の海岸線、肥中という漁港のそばの古い寺にあったからだ。



以前読んだ荒俣宏著の「木精狩り文芸春秋社H6年刊」という本の冒頭にある巨樹の紹介で、「長門の結びいぶき」という奇形の巨樹は平成2年に日本名木100選に選ばれたという。荒俣氏の語りのうまさに惹かれて実物を拝観にいったわけだ。
大木、巨樹、老木のたぐいは見るひとを感激させる。大体、木というのは思うほど寿命が長くはない。多くは人間よりも早く死に、朽ちる。我が家の近くの木々も住み着いてこのかた、20年余の間に随分生まれ、伸び枯れて死んだ。これらを例外とはいえないと思う。人間は例外なく100年内外で死ぬが、そんな中で樹齢400年、500年と数えられる古木があるのは奇跡に近いことだと思う。その上に姿が見事であれば賛仰されるのが当然だ。鄙びた漁港の裏山に在った寂しい恩徳寺の境内に蹲る「結びいぶき」の奇観に私は息を呑んで見入った。大きくななめにかしいだ巨大な樹幹の先に自縄自縛といった観を呈する枝枝の絡み合い、もだえ狂ったあとのやまたのおろちの首の群れのような奇観は凄みがあった(荒俣氏の本にもヤマタノオロチというシノニムが見える)。どうしてこんなめちゃめちゃな奇形が自然に存在するのか、木自体が苦しいはずだ。不思議だった。


そのあと191号を下り、途中100体以上の集中墓跡と古代人の骨が出た土井が浜遺跡

(写真は同「人類学ミュージアム」のモニュメント)



に寄ってから温泉へ入った。

この小旅行には続きの落ちがあった。

あくる日、市立下関美術館のそばにある長府日本庭園の「和の祭り」に紛れ込んだ私たちは、そこで浜田市からわざわざ出張公演に見えたという石見神楽を鑑賞することが出来た。演目は出雲神話の真髄スサノオのヤマタノオロチ退治であった。これは単なる偶然だろうと思うけれど、不思議だった。


竜頭蛇尾というより単なる蛇足であるが、この有名な出雲神話もなかなか歴史では理解の難しいもののようである。素直な解釈では、多量の土砂をもたらして島根島を半島にしてしまった暴れ川(地図を見れば揖斐川やら神戸川など、確かに何本もある)の治水を成功させた国主、英雄の伝説になるのだろうが、肝心の出雲風土記には全く記載がないという謎をはらんでいる。女好き、酒好きのはなはだ人間臭い暴れ川でもある。

例によって梅原猛博士は「神々の流鼠」で斬新な仮説(もとの大和の先住民族大国主命=三輪山のもと斎神を倒した現大和政権のあらぶる祖先の手柄話)をたてている。酒好き、女好きが禍してまんまと新興勢力にしてやられた大黒さんは結局、寂しい世界の果て、出雲の国へ追いやられ、そこで入日を見つつ枯れ果てたというのが国譲りの話なのだと。
一連の博士の衝撃的日本古代史考シリーズの最初に位置する作品である。

(151)小泉劇場のこと

ここでは政治について書くことは避けてきた積りだけど、時にはそれに近いことをしてきたのかもしれない。ただ、ここで再確認するけれど、私には特にひいきにする政党はないし、これまで選挙の都度、その時の様子によって考える無節操な態度をとってきた。いわゆる無党派層というのだろう。もちろん、私がそうしているのであって、それが一般人にはベストな政治的態度だというのではない。様々な人間がいて、それらのひとびとが信じる様々な思想があって当然だし、また生活のために、ある特定の政党についているというひとたちも、もちろんいるだろう。どうでもいいわい、また政治はわからんからコミットしないという態度も、もちろんありうる。それらの総計がたまたまある傾向を帯びてきたら、それが日本の政治の方向になるというのが民主主義というものなのだろう。たったひとりの力ではどうしようもないのだけれど、しかし、私を含め、国民ひとりひとりの投票が、今回の衆院選挙でも何らかの力として寄与したというのも事実だろう。結果が満足のいくものだったと思えるひとが、そうは思えないひとたちよりも必ず多くなるというのが今の時代に採用されている民主主義の運用システムなのだし、残念だったというひとは、同志の数が反対者たちよりも少なかったのだということで納得せねばならないのだ。
こういったあたりまえのことを長々と書いたのは、今回の選挙が実に分かりやすい選挙だったし、結果として、非常に単純な(単純が悪いというのではないけれど)ものになったということからだ。

勧善懲悪ひとすじのどさまわり一座、小泉座長率いる郵政改革劇場の一幕が降りた(’05.9/11 衆議院選挙)。内容は結構どろどろして血なまぐさい面も多かったけれど、それでも座長の演出やら大げさな身振り立ち回りがきまっていたし、助演者も揃って、もちろん色気にもことかかず、多くの国民が座長人気に酔わされ流されてしまったのもむべなるかな、といったところだろう。


分かりやすいものにしてしまったのは小泉さんの計略である。みっともない内輪のごたごた(自民党内の内紛)にけりをつけるための大げさな仕掛けが今度の衆院解散だったのだし、それだけの、みっともないことに輪をかける仕掛けづくりは国民に馬鹿にされるぞという党内自重派もあったことは確かなのだが、それに付け入るだけの知恵も力も、ただ政権交代を叫ぶだけの民主党にはなかったということだ。ただ劇場化された自民党内の対立だけに耳目が行って、民主党は、奇怪にも自民党と対立しているのはおれだという感覚すら国民に宣伝しきれなかったふしがある。

郵政改革と財政建て直しは日本の将来に必須だろう。なぜ民主党がそれにのっかっていかなかったのか、かれらのおかぶを奪えなかったのか、私は不思議でならない。自民党がそれらを本当にうまくやれるのかどうか、まだ疑問は残る。道路公団の改革自体、うまくいったとはお世辞にもいえないのだ。様々なテーマで、もっと魅力的な改革のプランが出てもおかしくはない。それがしがらみに縛られない(はずの)野党の役目ではなかったか。今回小泉自民党が大衆に支持され、勝ったのは必然だった。

大勝ちしたものは必ず驕る。従って自民党大勝後のゆりもどしは必ずくる。民主党のチャンスはそのときだろう。

とはいえ、私は民主党シンパではない。念のため。


 

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