(261)パッチギ へ進む







(260)テンペスト

友人から勧められて読んでみた。 池上永一 テンペスト上下巻をあっという間に読み終えてしまった。いや、面白かった。読み進むのが惜しい、惜しいと思い、時々はそこから離れて別の作業をするのだが、すぐ読みとどまったその後が気になって戻ってしまう。久しぶりの充実感だった。

沖縄が琉球と言われていた最後の時代の、その王朝と王朝とともにあった琉球で起こった歴史的な事実を踏まえて、その王族の血を引く天才少女が、あるときは宦官と偽って男装し、敏腕の上級官吏になって王を補佐し、内外の難局に直面する国政を見事に切り回し、またあるときは絶世の美女に戻って王宮に入り、王の側室となって寵愛を得る。エスニック歴史冒険ファンタジーというところだろうが、最初は違和感を持ったこのライトノベル剥き出しの表題も、随所に現れるカタカナ書きの現代語彙も、読むうちに気にならなくなっていったのは、なんとなく懐かしくも可憐な琉歌(琉球独自の和歌)がそこここに採り入れられたり、琉球王朝の細部にわたるしきたりや独特のひびきを持つ内部組織の語彙の数々がリアルな雰囲気をかもし、この物語がただならぬ文学としての風格を見せ始めたということでもある。

しかし、大体からそんな些事をあげつらうようなレベルの問題ではなく、この物語自身の設定そのものがこれまで書かれた物語の枠をはるかに超えたいわば荒唐無稽にもほどがあるというはちゃめちゃぶりであったということだ。

現王家の前の旧王家の末裔である美少女真鶴が急に姿を消し、代わりに美しい宦官が現れてたちまち才気を見せるという出だしも、そのりりしいイケメン寧温と側室真鶴がかわるがわる同じ場所に現れて誰よりも目だった活躍をするという下巻も、どうして周囲がその異様さと同一性に疑いを差し挟まないのかというこの物語の根本的な設定の不自然さは誰もが持つに違いない。

例えば女が男にになって誰にも気づかれずに居るということは実際可能だろうと思う。しかし、このヒロインはそれを夫や友人の前で頻繁にスイッチするというのだ。よほどの演技力が要求されるはずだし、これを実写映画などにしてみれば、それが本当に可能かどうか、リアルさの度合いが分かるのかもしれない(仲間由紀恵!主演で舞台化するという)が。

そういったことは、しかし作者は当然承知の上でこの極彩色の戯作三昧としてのひとつの女性賛歌、沖縄賛歌、見事な王朝絵巻をこしらえたのだろう。作者自身の出自である琉球にかってあったみごとな王朝文化への強い憧れと郷愁、、その史実である「琉球処分」の一史観としての滅びの美学といったものを作り上げたということだろう。

何にせよ、ヒロインをここまで理想化し、スーパー化し、ありとある激しいまでの苛酷な運命を味わわせて最後の華麗なエンディングへまで持っていく、こんな物語はかってなかったし、しかも途中で破綻せずに最後まで興味を繋いでいく手腕は見事なものだと思う。

華麗なエンディングといったが、確かに波乱万丈の面白いライトノヴェルであることは間違いないけれど、作者がこの作品で真に書きたかったことは、やはり是が非でも幸せにならねばならないヒロインの運命ではなく、琉球人として生きると誓った想いびと青年士族浅倉雅博の心意気なのであり、全体として大悲劇に終わった琉球国の運命であり、その滅びと運命を共にし万座毛で自決したヒロインの盟友にして有能な官吏喜捨場朝薫であり、ヒロインの影の憎まれ役を終始勤め、最悪の人生を潜り抜けて奇跡の復活の後王宮の城壁から跳び自害して果てた聞得王君真牛だったのだろう。

真牛の最期の絶叫を聞くまでもなくこれは古くもなくまさに現代の、今まさに進行している辛くも生々しい問題そのものなのであり、まさしくテンペスト(嵐)の吹きすさぶような最後の数ページを私は涙なくしては読み終えることが出来なかった




(259)エコ・キュート

最近気になっていることである。

エコ・キュートについて自分なりに理解していたことがある。

1)ヒートポンプを利用した効率の良い温水供給装置だということ。

2)特徴は冷媒(熱媒といべきか)にCO2 を利用して、その先進性を強調している(世にあるCO2 を取り込み、コンプレッサーの中に押し込めることでその削減に一役買っているというポーズなのだろう<笑止千万>と思っていたが、これは間違っていた。フロンなどの温暖化ガスに比べて放出しても比較的影響が少ないガスを利用しているということらしい)。

3)いわゆる夜間割引きの電力を利用して、比較的安価な温水供給が可能になっているという。とはいってもその消費電力そのものは馬鹿にならず、やはり電力会社側が余剰電力をバーゲンしてでも売りたいという思想の尖兵なのだろうと思っていた。現に彼らはエコキュートそのものだけでなく、IHヒーターなどを必ずセットで持ち込んでくる。

4)最近はエコの本命と目される太陽光発電設備ともタッグを組んで売り込みに掛っている。エコ・キュートそのものも最低70万¥くらいはするし、これにIHや太陽光発電設備200万¥が加わると300万¥超となり、金を持たない庶民には持ち家を建てることにも近い、一生ものの買い物になる。

5)しかし、太陽光設備を含めて、これらは一生使えるほどの耐久性はないようだ。精精10年超といったところだろう。特にCO2ガスを100気圧からの超高圧にして熱を周囲から搾り取るエコ・キュートの複雑な機構、日に夜に苛酷な外気に曝され続ける光電池、それにパソコンに近い複雑な支援電子装置、光発電を商用電気に転換しアクセスするインバーター装置などはまだまだ歴史が浅く、耐用年数に不安が尽きない。300万¥を十年で償却するためにはこれらがどれほどの利益を産まねばならないのか。到底不可能だろう。

6)結局これらは西ヨーロッパ起源の地球の環境危機陰謀に便乗した日本なりの政治的経済的大衆向けキャンペーンの一環なのであって、せめてそれらの大衆消費が日本の落ち込んだ経済を上向かせる力のひとつになれば、という一種の経済政策なのだろう。もちろん大量生産で高価な機器がコストダウンするかもしれないし、国際的な競争力も増す。だから意味はあるだろうし、やたら金を持っていて、それを使う動機が見出せないでいる日本の上中層民間人家族の資産を社会へ放出させ流動させるという意味では全く悪いということでもないのではないか、と思っていた。

この1,2年年齢に似合わず体力の衰微が著しい。うちの給湯システムは灯油ボイラーに太陽熱温水器をからめたもので、年の2/3は燃料の供給が不要なのだが、さすがに冬季は灯油を使う。その供給が辛い。ストーブの暖房にもつかうが、うちは年中毎日5人が風呂に入る。18リットル缶をタンクに載せて灯油を入れるのにかなりの力が必要だ。多分年間にして20缶は使うのだろう。月にすれば2000¥ほどのものだ。それでも太陽熱の恵みで少な目の出費だと思っていた。

エコキュートの宣伝を見たら、毎月1000¥くらいの出費でOKだという。これは凄い。電気は熱にするべきエネルギーではない(効率が悪い)と私は思っていた。だがこの格差は何だろう。物の本によれば、エコキュートはヒートポンプで、電気エネルギーを単純に熱にする(電気温水器など)のではなく、空中にある熱気を集めて凝縮するという手品で、熱効率は最大300%!!、総合効率でいっても少なくとも100%以上なのだという。(灯油ボイラーは新品で95%、太陽熱ボイラーは50〜60%の熱が温水に貢献する。ちなみに太陽光発電は最新で15%の効率らしい。)

これは驚いた。効率が100%を超える機械があるということ自体が信じられないが、これはいまはやりの投資でいうリバレッジ(てこの原理)なのだといわれれば、無から有を生む、まさにそういうことなのだろう。その上に電気代が政策上の大安売りで実質の1/4ほどということなら、いつまで続くか分からないが現在の経費を大幅に下がることも(ちょっと不透明な部分もあるが)頷けないでもないと私は思ったわけだ。

エコキュートを今の灯油ボイラーに置き換え、太陽熱温水器をエコキュートの前段におけば無敵のエコライフが実現する。0¥にはならなくても毎月1000¥を大幅に下回ることは間違いないだろう。

しかし、それは狸の皮算用だった。

エコキュートは(どういうわけか)従来の太陽熱温水器とは繋げないのだという。構造的にそういう工事を想定してはいない設計になっている(なぜだろう?)し、”無理に”繋いでも、様々なトラブルが想定されるので責任は負えない、と。現在の温水器ではなく、エコキュートのシステムに沿った(より高度な)ものを近い将来に開発する計画はあるが、政策的に現在の太陽熱温水器は太陽光発電へ移行させていくという。ふーん。

大金をどんどん使わせようという気分は理解できるが、あまりに技術志向が前のめりに過ぎるのではないか。ここでも耐用年数が来たというだけでまだ使える建物をどんどん壊して建てかえる日本の過剰な使い捨て主義が露骨に見える。

現に太陽の盛んな南国の宮崎県でも、まだ使える太陽熱温水器を屋根から外し、太陽光発電装置に載せ代える家屋が増えているらしい。普及率がトップだった温水器の普及率はここ数年かなり下がっているようだ。

私は太陽熱温水器のコストパフォーマンスを高く買うものの一人だ。うちは20年使った前代の機器から今にいたるまでこの隅まで理解できるシンプルな構造を信頼しているし、実際、前代の水漏れを例外として故障らしいものはない。現代社会がかならずしも何から何まで高度な技術社会であらねばならない理由はないし、出来れば自分で修理も出来る機械が多いほうがよいし、それは誰にも納得できる論理だろうと思う。

私に太陽熱温水器を捨てろとは誰も言わないだろうけれど、ともかくこれは耐用年数まで使う積りだ。これが併用できると彼らに納得させるまで、エコキュートもしばらく買い控えることにしよう。




(258)ひょうたんなまず


「史記」の滑稽列伝に、魏の文侯のとき、ギョウ:業にこざとへん(魏の首都)の巫女の中から美女を選んで河伯の妻として水に沈め、洪水の予防にしたとある。河伯、つまり水神だが河童(カッパ)といった方が近いだろう。

南方熊楠の随筆「人柱の話」からの孫引きである。

まだ天災が人間にとって畏怖の対象であり、逆らい難かった上古の時代の話で、自然に棲みそのあたりを支配している全能の(人格)神をなだめて味方につけるための手続きを取ることで、人間はかつかつその場へ入り込むことが出来ると考えたのだろう。ある意味20世紀の自己中心主義、一神教的科学万能思想、人間だけが科学の力であらゆる自然を牛耳ることが出来るという思い上がった思想よりもまだ上質の考え方だと思う。今は人柱の変わりに環境アセスメントをしっかりやることで一応の代用にしているといっていいのではないだろうか。例えば沖縄の辺野古埼には神もいるだろうが、それ以上に土着の人間を含むやおよろずの貴重な生物や無生物たちがいる。若しそのあたりへ入り込む必要が生じたあかつきには、強引に生贄を沈めるなどの古拙なことはせず、しっかりと共生の手続きを取ってもらいたい。


メールの会の畏友から以下の謎かけが仕掛けられてきた。人柱の話だけれど、この対象である神は何者か?ということもある。



「日本書紀」仁徳紀より
大阪平野の治水工事をすすめていたとき、築堤のなかに崩壊しやすい場所が
二ヶ所あった。そこで川神をなだめるため、
二人の男が犠牲に供せられることになった。
一人は泣く泣く水に身を投じたが、
あと一人の茨田連杉子(まむたのむらじこのもろこ)は瓢箪を水中に投げ入れ、
水神にむかい「この瓢箪を沈めることが出来れば、お前を真の神として
判断して自分も犠牲になろう。しかし瓢箪を沈めることに失敗したら、
お前を偽の神とみなして、私は無益に身を滅ぼすことはするまい」と挑んだ。
水神は瓢箪を沈めることに失敗したので、
杉子(このもろこ)は犠牲になることを拒否した。
にもかかわらず、堤は無事完成した。

また、次のような説話もあた。これはまさしく水妖動物

備中の川島川の分岐点に大ミツチ:虫扁にレ(おつ)が居ついて、人びとの命を奪った。
そこで笠臣(かさのおみ)の先祖の県守(あがたもり)が瓢箪を投げ入れ、
「これを沈めることができなければ、お前を切り殺す」と宣言する。
大ミツチは鹿に変身して瓢箪を沈めようとしたが失敗したので、
県守はこれを殺し、さらに湖底に蟠居していた同類を皆殺しにした。


古代からの伝承は非合理的なものが多い。けれど、それらをただナンセンスと決め付けることが出来ないのは多くの近代の賢者のいわれるとおりだろう。

生贄のもうひとつの面は、古代人の手に余る技術上の難問を単に気難しい悪神のせいにして責任逃れをするだけでなく、人間達も自らの犠牲を供出して新たに自分達の味方となる神をしつらえ、従来の悪神がいれば天上で対決もさせる、実に一所懸命でけなげな作業だったのだろう。死に物狂いというのはこういうことだったのだ。もっとも、生贄にされる当人達は皆がみな使命を理解はしても、自ら使命感を高らかに持って死地へ逝いたわけでもなかっただろう。生贄の立場とすれば、名誉ではあっても現実は実に悲惨で辛いものだったから、この悪習は近代までに絶えたのだろう。

 

前者の英雄”茨田連杉子はその端境期に現れた合理性を弁えた人間だった。人柱の無意味さをよく知っていたのだ。また備中の県守は自身で知恵を絞り、悪神を成敗してしまった。

 

神と人間との対話がスムーズに行ったとは私も思わない。この二つの神話に共通して出てくる瓢箪とは何だったのだろうか。

以前読んだ鯨獲りの古話には、網に浮きとして大樽をいくつも綱で結び、大鯨にそれを掛け絡ませて水中を泳がせ、力尽きて浮かんだところを仕留めるというものだった。水神も大ミツチ(巨大な水へび、アナコンダ?)も水中で力を発揮するものだろうから、瓢箪を沢山つないでかれらを網にかけると、その浮力でもう水中深くへ逃げ切ることは不可能になって、簡単にやっつけられるのではないだろうか。

全く見当違いかもしれないが、瓢箪と水棲怪獣とのかかわりに他の考え方はあるだろうか。

瓢箪なまずという禅の命題があるが、巨大ななまずに瓢箪を(てぐすなどで)絡めて弱らせ、結果捉えるという釣情報なのではないだろうか。

神の正体はまた別途、というより分からない。






(257) それでもボクはやっていない

 

 

 

 

 

 

過去に読んだ小説を読み返して、また別の見かたが出来るように、映画でもそんな観方があるだろうと思う。それと似たことだけれど、評判の映画を見のがしで、数年たったあとでアンコール上映を観る、あるいはレンタルでソフトを借りて観るということも悪くはない方法だろう。巷での評判(というよりも圧倒的に”観ろ”というCMなんだが)を聞くと、自分も早く見たいという好奇心が募って、つい封切り直後に見てしまう、というのが大方の現象なのだろう。もちろんその気分は理解できるけれど、私の場合逆に評判の良い映画はなんとなく避けてきたということもあった。観る映画の本数そのものが年数本という時代が多かったので、結局はたいそうな思想などではなく、単にものぐさだったのかもしれないが。

封切り時に観なければ、映画館でその映画を観る機会は通常失われる。アンコール上映が出来る映画は例外的なのだ。どんな映画も数年置いて再上映できるシステムが常設されたらいいと思うけれど、採算性からむづかしいのだろう。

それをカヴァーするために今はDVDの販売があるし、レンタルもある。家庭で観るのはどうも没頭できないというご仁もいらっしゃるだろうが、これはやりかたしだいだ。その気になってみれば、映画館と変らない感動にひたることも出来る。私は最近それに気がついたひとりだ。

数年遅れて観るということは、その映画の専門家による批評が出尽くしたあと、それらを吟味しながら注意深く鑑賞できる、見所も見落としがないという決定的な長所がある。もちろん、ねたばれの映画紹介も多いから、驚きや感銘はやはりかなり減少するという欠点はあるだろう。だからミステリーやホラーなどはこのやりかたはお勧めできない。

それでもボクはやっていない監督・脚本:周防正行」は2007年に大きな話題を呼んだ良心作だった。私も「229.司法改革」で少し触れた記憶があるけれど、実は観ていなかった。多くのメディアを通じて紹介されたし、ネットの批評も幾つも読んで、つい観たような気になっていた。

実はその紹介にあった内容がどうも観るのに辛いものであるように判断して、観にいく気にならなかったというのが正直なところだった。先月もTV放映されたようだったけれど、私は見なかった。DVDで通して観たのはつい最近だ。

映画は楽しいものであるべきだと思う。ミステリーなどで非倫理的な犯人が英雄のような扱いを受けて肯定されるのはやりきれないし、被害者が無駄死にし、近親者が涙を流しておわりという悲劇はどうも勘弁して欲しい。もちろんそんな物語も、その結末に至るまでの様々なドラマが楽しい、驚かされるということでの娯楽性はあるのだろうけれど。

「それでも---」はややそれに近い、娯楽性に乏しい社会派映画であるという認識があった。裁判劇というドラマは娯楽性があり、多くの秀作が思い出される(私も観た代表作は、「十二人の怒れる男」だろう。)が、その殆どが正義派の勝利を結末に置いている。

 

 

この映画が、映画として表現するのが最適だったのか?という疑問が一部にあったのは、そのことを指摘しているのだろう。つまり、「それでも---」の主人公金子徹平(フリーター)/加瀬亮 好演 は無実の罪で4ヶ月に渉って拘束され、理不尽な取調べを受け、刑事告発を受ける立場を選び無罪を勝ち取るべく頑張る(これは本当に大変なことなのだ。映画ではむしろ抑えているけれどきちっと描写されてあり、普通の想像力だけで、この行為が容易でない英雄的行為であることが理解できる)が、結果は有罪。唯一の救いは彼が更に上級裁判所への 控訴を決意したことで無罪を目指すというところだけれど、内容的にも後味の悪さは拭えない。


もちろん、なぜ彼が無罪を勝ち得なかったのかという理由は納得できる。それが日本の裁判の実態だからだ(無罪の確率は0.2%だと!)。ここに製作者の怒りの集約が見て取れる。「疑わしくは罰せず」という基本に忠実な裁判官 大森光明(交代前の裁判官 正名僕蔵)を更迭し、ともかく自己中心的な公的権威にあぐらをかいて、不条理の世界から一歩も出ない作文的判決を恥ずかしげもなく読み上げる裁判官室山省吾(交代後の裁判官 小日向文世)の執拗な描写とともに、この映画の強い主張がそこに読み取れる。この映画が彼らの反動(映画公開の前後にこの種の有罪判決が相次いだという。例の植草教授逮捕有罪事件もこのひとつである可能性がある)を引き起こしたのは、裁判員制度の推進とともに、この映画のインパクトの強さが社会を動かしたという幾つもの事例のひとつになったのは皮肉なことだった。

 

 

 

たしかに、映画が意図した問題の多い日本の法治のシステムの詳細紹介、ことに都会では日常のことになっているというこのような「痴漢犯罪の処置」の歴史的な経過(以前は弱い女が泣き寝入りするしかなかった。現状はとても完璧とはいえないが、それでも女性の立場から見れば進歩には違いない。被害者保護の立場から一度は徹平の弁護に躊躇する新米弁護士(瀬戸朝香) の心理の変化がその希望を象徴的に示している)、そして現実にみる実態のうそ寒さ、しばしば人間性の極限に対処しなければならない警察と司法の、それゆえに平凡な精神が陥りがちのいつに変らない硬直した権威主義、そういったことを作品は痛切に批判している。

ことに裁判というあまりわれわれが関わることの少ない、したがって関心をもって深く考えることのなかったひとつの世界を、刑事弁護の立場を中心にこれほど丁寧に描き、彼らが直面する問題点を様々な立場から分かりやすくくっきりと見せてくれたことはこの映画の最大の功績だったのではないだろうか。




(256)クライマーズ・ハイ

 

最近原作のある映画を観ることが多かった。いや、大抵の映画には原作があるというのが常識だけれど、それらの関係について改めて考える機会があったということだ。

映画だけではなく、舞台でもあった。「出雲のお国」は有吉佐和子氏の原作を読んだことがあって、それを舞台にした前進座の公演を最近見たのだけれど、これは華やかな舞い踊りの場面がふんだんに採りいれられてあって、原作にはなかった楽しみがあった。有吉作品らしく、人情劇に社会派として環境問題までしっかり(小説中では巻末に不自然に滑り込ませたといった感が拭えなかった)取り込んであり、作者が生前にこの劇化に深くかかわっていたというのもうなずけることだった。両方とも独立した作品になって、成功した例だと思う。

映画ではどうだろうか。私は最近の日本の小説を余り読んでいないので、いきおい映画を先に見て、ついで興味を持った原作を読むことが殆どだ。よしもとばななの「アルゼンチンババア」がそうだった。小説は短編だったから映画とはいい勝負だと思った。内容的に量的に過不足なく、無理なく映画化が可能だったということと、質的な重さとしてということもあるけれど、さらっと淡彩的に書かれたいわば大人のメルヘンのような小説のよさというものも私は認めたい。だから地域社会と主人公とのかかわりなど映画の方が濃く描きこまれている部分もあり、ビジュアル化も含めて映画としての良い部分をしっかり出してまとまった作品になっていた。

 

私は原作も含めて(それらをとことん味わおうという特殊な野望でもなければ)両方を知るべきだといっているのではないのだけれど、当然ながらそれぞれ片方だけを味わっても充分愉しめる作品であるべきだと思う。ひとかどの製作者なら、他者のそれをベースにして自前のメディアで作られた作品であれば、原作を読んだひとだってそれなりに楽しめる、いや、原作以上だ、と言われるようなものを作ろうとしているはずなのだ。

どちらが先に世に出たにせよ、片方にたまたま出会ってそれが大変よかった場合、もう片方も見ようかという気になるのは自然だろう。

2年ほど前に話題になった「クライマーズ・ハイ」が近所の映画館で再上映されたので観にいった。監督原田眞人。期待した以上だったのだけれど、その原作(横山秀夫)がまた、映画よりいいですよと勧めてくださるメールの友人(読書家である)にしたがって(望むところだ)、続けて原作も読んだ。

 

群馬の地方新聞社、不惑の歳になった古参記者悠木(映画での配役は堤真一、以下同じ)は、休暇を取って親友の安西(高嶋政宏)と山登りを計画していたが、たまたま職場を出るその直前に日航機が県内の山中に墜落するという大事故が起こり、その記事を取り扱う全権キャップに任命される。地方紙の取材圏内で起こった一記者として一生に一度あるかないかという大事件は世界的な大スクープの可能性もかかり、しばらく責任部署から外されて腐っていた悠木は久しぶりに情熱を傾けて困難な大仕事に向かう。

地方新聞社というジャーナリズムを作者はそこに実際に身をおいたものだけが描ける強みを発揮して、新聞人が見た戦後の一時期をあるいは現代史的に、またその一大事件当時の事実を微細に、また巨視的に実にいきいきと描ききる。またその新聞社内の様々な人間像と社長派、専務派に分かれた複雑な対立関係がそのまま新聞記事の扱いにかかわってくるという緻密な描写も、おそらくは事実に基づいているのだろうという生々しさを感じさせるほどに見事に我々に伝わってくる。新聞というわれら一般人にとって身近でありながら普段は知ることのなかったその制作過程の赤裸々な現実がわれわれに興味深く開かれるのもこのドラマ=小説の斬新な部分だろう。

 

正統的なジャーナリストとして筋を通そうとする主人公の悪戦苦闘のさなかに彼自身を悩ます友人安西の過労による発病、不思議な前夜の行動の謎解き、それに悠木自身の複雑な出自と家族関係の悩みが背景に置かれ、更にそれらすべてが冒頭シーンの、17年後の安西の遺児である燐太郎(小澤征悦)と組んでチャレンジする谷川岳一の倉沢ついたて岩の絶壁登攀に身をおく、既にリタイア近い主人公の追想なのだという設定。

 

なかなか複雑な構造だけれど、これは映画でも小説でも全く同じ描き方になっているのは、小説として成功を収めたこの構造がむしろ映画的だと考えられたのだろう。この絶壁シーンはドラマ全体の緊張を維持し、更に題名の示すように核心に触れるものだろうと思う。ただし、小説では登りきってもいないのだけれど。

 

この作品の場合小説と映画では、主人公である悠木の描き方が随分違うのである。映画ではワンマン社長白河(山崎努)に気に入られて全権キャップに抜擢され、正論をかざして上司や他部署につっかかって部下や同僚に常に支持される。彼が社長にそのキャップの地位を外されるのは、正論を降ろさなかったからだという結末で、しかし17年後には復職しているようににおわせている。日本最強の絶壁に挑む主人公堤真一は57歳とはとても思えない若々しさで、実に適役、かっこよく、適当に男くさく美女にももて、かげりのある性格は男にも惚れられるものだ。娯楽映画なのだから、いいのではないか、と私も思う。

 

 

小説の悠木は英雄ではまったくないし、生涯一記者といえば聞こえはいいが、実は社長などには顔も知られていない、むしろかっこわるい中年の万年平社員といったところ。たまたま日航機墜落の全権キャップに指名されたのも彼のキャリヤからいえば至極当然ではあった。福田中曽根という郷土の名士の顔をたてた写真をうまく紙面に取り込んで(これは実話で、アサヒグラフで見た記憶がある)社長以下をうならせた敏腕を発揮する面はあっても、その正義感と記者魂はある面では突出しすぎ、空気を読めずに空回りをしてしまう。結局部下の捉まえた大スクープ(日航機の墜落原因が後部圧力隔壁の破裂によるものだという説)も詰めでの決断が出来ずに(これだって上司、責任者はそれを黙認したのだという言い訳はあるが)、毎日に出し抜かれてしまう。一代の大役を途中で降ろされて地方支局でうだつのあがらぬ余生を送るというのも彼の実力としては無理からぬことだったのかもしれない。そういった人生の鬱屈を屏風岩の登攀でせめて締めくくろうかという気分も見え隠れしている。見かけは華やかだけれど、ある意味横山の愚痴めいた自伝的な私小説とも読めるのである。

表題となった「クライマーズ・ハイ」。どんな高揚した場面においても、自分は決して酔っては居なかった。しっかりと地に付いた仕事をしてきたのだという新聞人としての自信というか意地がそこにあらわれているのではないか。




(255) クヒオ大佐


近くの映画館でアンコール上映がはじまった。評判の良かった最近の日本映画を入場料を多少割引してシリーズで再公開するというものだ。私はとかく決断力がなくて、観たいと思った映画もぐずぐずしているうちに上映期間が過ぎて逃してしまうことが多く、こういった企画は有難い。早速「クライマーズ・ハイ」と、続けて「クヒオ大佐」を観た。偶々のことだけれど、この二本の映画の共通点として堺雅人が出演していることだった。「クヒオ-」では主演を張っている。

これも偶然だろうか、アンコール上映のなかにもうひとつ彼の主演作があった。「南極料理人」というやつだ。これは私は封切り時に観ていたので今回はスルーしたが、ここ2年ほどの間の日本映画のそれも結構話題作に彼がよく出ているということだ。私が「クヒオ-」を観ようと思った動機も、彼についてもっと観たいということがあったことは否定できない。クヒオも期待通りさもしくものがなしい結婚詐欺師を好演、映画自身も面白かった。吉田大八監督

米空軍のパイロット「クヒオ大佐」と自称し、付け鼻にくわえ古着屋のミリタリールックに身を固めた堺は「世界平和のために---」といってなにやら市井で活動するふりをして、弁当屋の女社長しのぶ(松雪泰子)やら博物館の若い学芸員はる満島ひかり)などへ結婚を餌に取り入り、騙して金を巻き上げようとする。しのぶの場合余り貢ぎすぎて順調だった自分の弁当屋の経営もおかしくなってきているのだが、まだ騙されていることに気がつかない。もっとも、上には上があって男の方も更に銀座のホステス(中村優子)に仕掛けるが彼女の方が上手で、逆に金をせびられ、たれこまれて彼自身刑事につけ回される破目に陥る。

姉を財布にしていた不良のしのぶの弟(新井浩文)も彼女の相手のうさんくささにすぐ気がつき、逆におどしをかけて百万円を要求する。この女三人と男ふたりの深刻な関係が絶妙の面白さだが、結局この困難な状況も巧妙な筋立てで最後近く一挙になだれ込んでけりがつくところうまい脚本だ。

この結婚詐欺の物語には前奏曲のように先行する物語(米軍の第一次イラク戦争時の日本が払った135億ドルの件)があって、どうやら米国(の日本に対する要求)を金額はともあれクヒオ大佐(のちまちました詐欺行為)に重ねているようだ。これは大いに共感するところだ。

もっとも、アメリカに対する変な遠慮があったのか、それは男の壮大な妄想だったんだなというけりがついているのだけれど、これは中途半端というよりも語るに落ちたといった常識的収束であり、ちょっとがっかりだった。

現実に戻るよりも、はるとともにシュールに爆発炎上してしまった方が(ともかく主張は提起してしまったんだから)いさぎよかったのではないか。





(254) トヨタのプリウス

 

 

大トヨタの車の品質に問題があるという。それもダントツのトップを進んでいたハイブリット形式のプリウスについてのリコールだ。何が起こったのか。

 

私は新しいもの好きではあるが、新製品を率先して購入するというタイプではない。

工業製品は先端の技術を使うものほど完全ではない可能性が高いと思っている。他社に先駆けて世に出したものは大抵欠陥があるものだと考えている。製造会社には失礼かもしれないが、人間が完璧な知性を持たない以上、彼らが組織する営利性の会社が完璧に運用されているとは考えられないし、限られた時間に限られた労力と費用で開発された製品が完璧なものであるとは思えない。

 

これは常識だと思っている。

 

エクセレント・カンパニーというベストセラーがあったが、トヨタがその名に相応しい会社だと思っているひとは多いだろうと思う。その会社の主力製品でもたまにリコールはあるということがそれを証明している。

だからプリウスだってリコールがあって不思議ではないだろうとは思う。

しかし、今回の問題は分かりにくかった。だから私なりに調べてみた。でもまだ納得行くところまでには至っていない。中途半端のまま投げ出しておく。

 

自動車は人間の作った工業製品としては素晴らしい、現時点においてかなり完全に近い実用的なものではあるが、これだって百年以上をかけて数多くの世界の優れた知性が考え抜き、組織的に大資本を投入して改良を重ねてきたものだからだ。

ただし、現時点では内燃エンジンを積んだものに限る。電気自動車は歴史こそガソリン車に負けないらしいが、まだまだつくり込まれていないから、これからのものだ。実用になるかどうかも分からない。

ハイブリットは更に複雑でありながら歴史が極端に浅い。今回問題を起こしたプリウスは3代目だというけれど、他の先輩の車種にくらべれば赤ん坊のようなものだ。まだまだ不完全な、未成熟な部位が多くて当然なのだ。

今回の問題がトヨタに責任がないとは言わないけれど、私は起こるべくして起こったことだと思う。

そこで、何が悪かったのかということだけれど、私たちにはまだ分からないことが多い。

これほどの情報社会で、肝心なことが公表されていない。

なぜだろうか。

私は、トヨタにも分かっていないのではないかと思っている。理由は以下である。

プリウスの公式サイトでは次のように書かれてあった。

 

今回の4車種につきましては、通常路面では油圧ブレーキと回生ブレーキが併用されておりますが、ABS作動時には油圧ブレーキのみに切り替わるため、雪路や凍結路を低速で走行している際にABSが作動した場合、ABS作動前に比べ、制動力が低下し運転者の予測よりも制動距離が伸びる可能性があります。
ABS
の作動時に制動力の低下を感じた際は、ブレーキを更に踏み込めば結果として運転者の予測どおり停止することも可能ですが、よりお客様に安心してご使用いただくために、今回、リコールにより、徹底した対応を行うことを決定いたしました。
具体的には、リコール対象車両のABS制御プログラムを修正し、制動力の低下を防ぎます。

 

お分かりいただけただろうか。私には理解出来なかった。

プリウスの特徴である回生ブレーキがひとつのポイントらしい。そしてABSという機能がもうひとつのポイントであるらしい。

これらは調べれば分かる。

 

回生ブレーキというのは、プリウスの駆動力を生み出している電動モーターで発電させ、その仕事力をブレーキにするというものだ。内燃エンジンでは燃料を供給しないで(アクセルを踏まずに)空転させることによって逆トルクが発生する。エンジンブレーキというのがそれだが、同じようなものだ。プリウスの回生ブレーキは更にブレーキを踏んだ時にも積極的に機能するようにしている。ただ、これは駆動輪である前輪にしか効かない。

 

ABSというのはタイヤがロックしたりスリップして地面との間で摩擦力を失い、蛇行を始めたり制動できなくなったりするのを防ぐために適当に(車輪を制動する)ブレーキ力を緩めて地面のグリップを確保するもので、結果的にブレーキ力が一時的にせよ弱まる、というか作為的にそうして車の走行安定性を保つものである。

しかし、その最終目的である車体を(目的地点で停止させるために)制動させる機能を損なってはならないのである。

プリウスでは、このABSが効き始めた時は、回生ブレーキを無効にするようにしていると言う。なぜそういうことをするのか分からないが、回生ブレーキそのものが前輪にしかないこと、そして(推測だが)このブレーキの性格として、低回転では効きが悪い(余り電気を発生しない、仕事率が低いからだ)こともあって、油圧による四輪の摩擦ブレーキだけにABSをかけているのだろう。プログラムをシンプルにする意味もあるのかもしれない。

回生ブレーキが効かなくなるからブレーキ力が落ちるといっているように見えるが、そうではなく、ABS機能自体がブレーキ力を緩めているのである。これはプリウスだけの問題ではないはずだ。

 

われわれが知りたいポイントは、以前の機種に比べて何が変っていた(何が原因でトラブルが起きたのか?)のかということだが、それがはっきりしない。

もうひとつは、具体的には何を、どう変更するのかということだが、それも分からない。

試みとして、他の非公式な情報もあわせて、私なりに問題点を整理してみた。


(回生ブレーキは従来のエンジンブレーキのようなものだと私は解釈しているけれど、本来性格が違うし、プリウスの場合積極的に(軽く)ブレーキペダルを踏むことで効き始める。エンジンは4,5速あって複雑がモーターは基本的に一速ので
高速ではむしろ効きすぎ、低速では効果が低いと考えられる
それで一般的に高速から効き始めて低速になれば何らかの補正が必要になる。発生した電力を消費するための負荷(多くは充電用だろうが、満充電になればまた別途に用意しなければならない)を切り替えたりしても限度があり、ABSが効き始めると(回生ブレーキとの併用では)ますますコントロールが困難になるので、ちょっと色気を出しては見たが、この場合回生ブレーキを諦め、従来の油圧(摩擦)ブレーキに切り替えることにしたということだろう。

このABSが高速走行時に効き始めたというのはかなり危険な状況ではあるが、ABSが効いたらその時点でブレーキ力は通常よりも弱くなっているはずだ。 今度の問題はその切り替えるタイミングを以前よりも少し(0.04秒程度らしいが)遅くしていたということらしい(これは少しでも回生電力を大きめにしてエコになるように配慮したからであるといっているが本当かね?)。 
ABS
作動時に重なって回生ブレーキが働いたままだったからそのブレーキ力は更に弱かったといっているわけだけれど、これは常識的にはむしろ逆なのではないか。摩擦ブレーキと回生ブレーキは通常は併用されているといっている。両方効いていたらその時点ではむしろ強いのではないのか。ブレーキ力が強い、弱いということは、この場合こういった理詰めで理解できることではなく、殆ど感覚の問題なのではないだろうか。


ABS
が不要になった時点でそれは即切り替わるはずだし、切り替えても事故が起こったというのならこの場合ABSに責任はないはずだ。
米国でのトラブルが主に低速時に起きており、
タイヤが弾んで浮くような時点でブレーキの抜けがあったといっているのに合致するのはいいけれど、ABS自体が事故を呼んでいるような感が抜けないのは私の理解不足だろうか。 

 



十年以上前のことだが、仕事で営業車(軽トラック)を借り、熊本だったかのなれない市街を走っていて、交差点で急に前の車が停止した。

思い切ってブレーキを踏んだが、4,5メートル空走して直前で奇跡的に停止した。車輪がロックして氷上を滑ったような気分だった。舗装路上のタイヤゴムが摩擦で熔けて地面とのグリップ力がなくなったのだ。ABSの必要性は理解できる。




(253) 沖縄’10

 

ちょっとこだわりがあって沖縄には行かなかった。というよりも、敷居が高い感じがあって行き難かったということの方が近いのだけれど。

つまりは大江健三郎氏の「沖縄ノート」の気分で、歴史的なこの地域の重さが(これまでは)安直な観光気分を抑圧していたということだ。

私は安くてもお仕着せのタイトなスケジュールで引っ張りまわされるいわゆるパック旅行が嫌いなのだけれど、今回はそこに目をつぶってこの「we love 沖縄3日間(阪急交通社)」に乗っかったのは、自分の意思に関係なく他者が決めたプログラムに随うのなら、(責任は転嫁できるし)何だってニュートラルで受け入れようといういい加減な(或いは狡猾な)思いがあったからだ。フリーの旅なら、やはり沖縄戦の戦跡をメインにしなければならないということになるはずだったろう。

ともかく3日間の本島バスツアーに参加した。行ったところは、(1日目)那覇空港→首里城、(2日目)黒糖工場→琉球村テーマパーク→万座毛→お菓子御殿→美ら海水族館→名護パインパーク→森のガラス館、(3日目)本部八重岳桜祭り→古宇利大橋→古宇利島→パイナップルハウス→空港

私はずっと思い違いをしていたのだろう。28年前の返還直後ならともかく、沖縄は今や全島をあげての観光産業立国をまい進しているのだから、本音はともかく彼らとしてもいつまでもひめゆりの塔ばかりを前面に押し出しているわけにはいかなかったのだ。そこで私たちは那覇空港に着いた直後、世界遺産の首里城へ向かうことになる。

琉球王国の栄華の歴史をしのばせるこの一帯の広さ、植生の豊かさ、多くの複雑な石垣と門、道のつくりも、先の戦争のいわゆる鉄の暴風に晒された結果その殆どが木っ端微塵に壊されてしまい、平成4年にいちから復元されたものだというガイドさんの言葉で、やはり”先の戦争”は沖縄に限ってはどうあっても意識からなくすことは出来ないのだと思ってしまう。

司馬遼太郎氏の「街道をゆく6」にはわずかに那覇のくだりで触れられてあるけれど、首里の町は破壊される前は奈良にも劣らない美しい町だったらしい。氏は復帰後の’74年にここを訪れているのだけれど、そのころはまだ石垣すらもなく、ただ石畳の坂道だけがあった(確かここには琉球大学の学舎があったはずだが)。植生だってなお貧しかったはずだ。もっとも、なにもないことがかえって想像を駆り立てることもあるかもしれない。守礼の門は思ったよりも可愛らしいものだった。「守礼の邦」という扁額は沖縄人の平和的で礼儀正しい性格を端的に表しているように思う。首里城は朱の塗りなおしをやっていた。  




















一日目のホテル「東京第一ホテル オキナワグランメールリゾート」は広島カープ球団のキャンプの宿泊でメディアの取材班も多く賑やかだった。

2日目は本島の南部から中部を貫く沖縄唯一の自動車道を通って北上する。それでここでもどうしようもなく生々しい現在のオキナワ問題、中部の面積の大半を占める多くの米軍基地を見ることになる。旧コザ(今の沖縄市、那覇などとは明らかに町の雰囲気が異なり看板なども英語表記されている)、宜野湾市(普天間基地があるが、バスからは見えない)、嘉手納市、恩納村、名護市(最近基地問題が争点になった市長選があった)と耳になじんだ名前が続く。道路の両側に延々と鉄条網が続き、無味乾燥な基地の景観が続く。時にはバスに覆いかぶさるようなコンクリートの巨大な壁が続く場所もある。見られたくない施設があるのかもしれない。ガイドさんによれば、嘉手納基地を見るバスツアーがあって、基地のそばの道の駅の3階から常設の望遠鏡でキーポイントになる軍用機の状況などを観察するとのことだ。走っている間にも空中給油機KC-137が飛んでいたし、F-16だろうか、飛び立った戦闘機一機がカメラを向ける間もなく低い雨雲へ突っ込んで機影をくらませた。

基地内はずっと民間のそれと変らない真新しい平屋の住宅、マンション、幼稚園などが続く。米軍兵の多くが既婚者で家族ともども赴任してくるという。思いやり予算で彼らの負担は限りなく少ないからだ。それらが増えすぎて、最近では広大な基地の敷地が足りなくなり、民間の土地にもその関係が溢れてきているというのが現状だそうな。こういう現象も沖縄人の複雑な気分を誘うのだろう。

沖縄の主な産物のひとつさとうきびから作る黒糖工場を見る。さとうきび産業は既に海外の安い砂糖に押されて競争力を失い、こういった観光のためのパイロット工場として集約され細々と行われている。それでもさとうきび畑は3日目に走った北部ではよく見られた。この傾向はもうひとつの産物であるパイナップルでも同様らしい。立ち寄った名護パインパーク(隣接したパイナップル畑を見せる)でも売られているパインはそこの産品ではなく、フィリピンなどからの輸入品なのだ。

 

景勝地万座毛の断崖に寄る。

福井県の東尋坊に景観が似ているといわれている、とガイドさんが言い、でも(自殺の名所である東尋坊に比べて高さ、岩場の有無波の荒さ度合いからだろうが)、ここで自殺するひとはいませんと笑顔で続けたのはブラック裕モアだろうか。ここでの沖縄戦での集団自決はかくれもない事実なのだ。もっとも、それに気づいたツアー客はわずかだったろうと思う。

ツアーの呼び物美ら海水族館は沖縄が世界に誇れる施設だろう。ギネス記載の世界最大の巨大パノラマ水槽ではじんべいざめの餌づけショウが見ものだった。

 

ここは’75に開催された海洋博覧会のメイン会場だったが、水族館としてその後も様々な投資がなされている。今も海側では工事が進められていた。

72年の沖縄返還以来、海洋博を皮切りにいろんな沖縄経済へのてこ入れがなされてきた。観光立県を目指した首里城の復元もそうだし、最近ではサミットの開催もあった。まだまだだとガイドさんはいうけれど、本島を南北に貫く自動車道路もある程度整備されてきた。

沖縄戦で、米軍上陸時の人口50万から15万人の民間人の戦死が言われたけれど、今は137万人の人口を有する県になったのは、それなりに国のそういった政策が功を奏したということだろうと思う。米軍の駐留だって不条理だという面は否定できないけれど、思いやり予算を含めてある意味では貧しかった地域を経済的に後押しする柱のひとつだったことも否めないだろう。

普天間基地の問題は歴史の積み重ねの結果である現状を本質から人為的に変更していくということであり、一朝一夕には不可能なのだ。ことに戦勝国アメリカの国益やプライドが絡んできて、日本人の都合と合理性だけでは進められないところに苦しさがある。急ぐあまりにまた別の場所にひずみを起こすような応急手当をするなどは長い目で見て得策ではないと思う。

二日目のホテルは名護市の喜瀬ビーチパレス。一日目ほどではないけれどここも立派なホテル、部屋だった。窓からすぐ眼下に綺麗な砂浜が望めた。

3日目は日本で最初に咲く早咲き緋寒桜を見に本部八重岳の桜公園を最初に訪れる。

 

沖縄の桜前線は南へ下るという説明が理解出来なかった。そのあと一般道としては日本で2番目に長いという古宇利大橋を渡って古宇利島へ。島の砂浜で貝殻に混じって長めの骨片をいくつか見つけたが、人骨ではないだろうなあ。

 



(252) のだめカンタービレ

 

去年の暮れからこの事件にかかわっていた。去年の秋に完結したコミック版全巻を揃えて読了した。それに続くおおみそかの偶然(アニメ版---これはTVでの実写版や今公開されている劇場版とは異なり、原作のコミック版に忠実だ---が夜を徹して放映された)が追い討ちをかけて、この文章を書く破目に陥っている。

 

のだめカンタービレについては、2年前のこのページの恒例の正月雑文にちょっと取り上げたことがあった。あの頃から気になっていたことは確かなのだけれど、それはたまにある偶然という出来事のひとつに過ぎなかった。私はああいうコミックの実写版(大抵が原作とは異なったものだ)を今でも認めてはいない。けれど、「のだめカンタービレ」というコミック作品のヒットした理由とその凄さは、当然のことだけれど作品の物語としての面白さ、完成度の高さという正統的な力そのものによるのであって、偶然の産物などではまったくないことは確かだ。3度通し読みしたけれど、その思いは高まるばかりだ。

 

講談社の少女雑誌「KISS」に8年間連載され去年の後半に23巻で完結した、クラシック音楽とその世界(ヨーロッパの音楽市場)で開花する天才ピアニスト野田恵(俗称:のだめ)の物語。作者は二ノ宮知子氏。

可愛いい系の美少女で身長162cm(キャラクターブックによる)の日本人としては平均以上で一人前の女性なんだけれど、ロンドン響でのデビュー(ショパンの協奏曲第一番)では少女扱いされる。彼女自身が「のだめ(野溜め?)」を自称するように天真爛漫、性格は奔放で非常識、みなりを構わず風呂も隔日、自分の部屋も”野溜め(化成肥料が普及しなかった昔の一般農家の畑地には必ずあった”しも肥”を発酵させる穴)”よろしく悲惨なまでのゴミ箱になっている。

学校を出たら保育園の先生になるのが目標だというピアノ科の目立たない生徒。成績は並以下で教師からは見放され(6巻まで)、音大生仲間からも奇人変人扱いを受けている恵(家族からも”卒業したらたちまち不良債権!?(9巻)”との認識があった)が、たまたま千秋真一という音大仲間からはカリスマ扱いされ、出自も世界的ピアニストを父に持って筋目正しく、教師たちからもピアノの実力も認められている一年上の指揮者志望の学生の隣の部屋だったことの偶然からこの物語が始まる。

 

恵はその隠れた才能を彼に見出され、人間的にも惹かれあうようになる。しかしこの異質な二人の組み合わせの不可能性から、当然ながら客観的には恵の片思いが続く。二人の関係の複雑さ面白さがこの物語を単純な恋愛ストーリーから遠ざけている。

恵は千秋の薫陶を受け、お互いに触発されつつその才能を磨き、才能を信じたために発生する自身とのたたかいに挑み、打ち勝ち、やがて自分自身の才能に目覚め(21巻の最後に)、様々な危機や悪条件を乗り越えて世界(つまりヨーロッパ)のクラシック音楽界の新星として華々しくデビューする。波乱万丈痛快無類な青春冒険(恋愛もあり)サクセスストーリー。

 

「野溜め」と「世界デヴュー」、この落差を埋めるために作者は全23巻(133話)の中で日本のクラシック音楽における高等音楽教育の内情をはじめとした膨大な業界取材に裏打ちされた該博な知識と材料を縦横に駆使して細部に至るまでのリアルさ、綿密な計算にもとづいた見事な筋立て、物語コミックの技巧を尽くしてその不可能性をねじ伏せ実現させていく。多彩なキャラクターの創造とそれら人間関係の構築、舞台づくりの手腕は見事である。(第一巻の最初のヒーロー千秋のぼやき、不満がこの物語の内容と彼の性格、そしてもうひとりの主役をさりげなく紹介するなど重要な伏線のすべてをここで語っているところなど憎いではないか。これはまた後に重要な舞台回しの役どころである龍太郎の紹介にも応用される。

 

繰り返し現れる演奏シーンは作中でも重要な部分を占めているわけで、作者としては大変な苦労の割りに作品の中では数少ない成功していない部分だともいえる。クラシック音楽を知らない読者には感銘は少ないだろう。よく楽想が思い出されるクラシックファンにとっても辛い部分ではある(CDを聴きながら楽しむのが理想だけれど)。だから、このコミックは絶対音楽付のアニメ版(これは原作をよくフォローしている)で楽しむべき作品だと思う。最近オンデマンドでこれが見れるようになった(第一巻は無料で試聴可!)。

 

現代のシンデレラ物語、音楽少女の最高の夢といっていいんだろうけれど、その夢のすがたが舞台となる特殊な世界へ、作者自身のストーリーつくりの才能に加えて、大変な調査取材の努力がなされたこともあり、細部に到るまでコミック表現の限界を乗り越え、ごまかしがなく納得行くように極めて精緻に構築されてあるのも大きな魅力になっている。

恵の性格はいわゆるモーツアルト的ということだろうけれど、そのキャラを支える対照的な千秋の、格別な才能を自覚しながらも更なる上昇的気質を失わずに超人的な努力を続ける性格はべーとーヴェン的といっていいのだろうか。彼の生き方はこの作品の中での芸術家魂のひとつの典型として中心的主題のように描かれており、見方によっては、例えば小説でいえばジャン・クリストフのような教養小説として味わうことも可能だろう。そういう見方からすれば、常套的な階段を経てのしあがっていく千秋真一は、のだめという最後には彼を超えてはるか彼方へ往ってしまう別格の天使を随えたこのコミックの実質の主人公なのだろう。最終巻の余韻を持たせた締めくくりもまた素晴らしい。

 

どこかで、このコミックがブームになったことで音大生の傾向が変るかと期待したのだがそうでもなかったというようなコメントが聞かれたけれど、それは当然だと思う。このコミックのベースではよくも悪くも(これまであまり知られていなかったローカルな)クラシック音楽教育現場の(夢のない)現実をコミック的ではあれある程度真面目に(見方によってはかなり辛らつな批判を篭めて)紹介しただけなので、それによってかえってひけてしまった人たちもまた多かったのではないだろうか。

千秋真一の生きかたは音楽大生ならずともおおいに人生を生きる上に参考になるけれど、だからといって誰でも千秋やのだめになれるかといえば、それは違うだろう。皆それは分かっていて物語を楽しんでいるのだ。


このようなクラシック音楽の世界を正面から取り上げた物語は最初で最後かもしれない。それがクラシック界に少なからず良い影響を与え、活性化させたことは確かだと思う。私も聴く機会の無かったクラシックの名曲をたくさん知ることが出来た。

それで、あまり演奏会には行かない私だけれど、たまたま去年の8月に聴いた九州交響楽団の演奏会でも、指揮者の寺岡清高氏が「のだめ現象」について冗談気味に触れていた。

「指揮者は(指揮だけでなく)何でもやれる人間だと思われているようで、困る」というような内容だった。明らかに、ピアノもバイオリンもプロ並に弾けるという設定の「千秋真一現象」なのだ。

コミックというジャンルが誇張と滑稽をむねとする芸術だということを、実写映画版の製作者も知らないはずはないと思うのだが、どうも映画版の製作者はコミックそのものを映画にもってこようとする勘違いをしているように見える。ひとつの我慢ならない例を挙げてみる

ミルヒ・ホルスタインことフランツ・フォン・シュトレーゼマンは世界的な巨匠という位置付けもさりながら二人の主役を世界のクラシック界の檜舞台へ引き出したこの物語全編における最重要な脇役であり、その魅力的な性格づけもあいまって非常に念入りに創造されたキャラだろう。ヒロインのだめにとっては結果的にも千秋以上に重大な恩人であり大天使であった。女性一般からいっても格別な憧れの的、はるかな遠いビッグスターが降臨したということだった。本来彼はドンファン的、独身主義を貫き、いつも異様に若々しくフェイスパックまでしているところなど、また作者は意識してやりすぎているのだが、このキャラクターはどう考えてもロマンスグレー以上(という言葉は死語になったのだろうか)の非常な美男でなくてはならないのだ(くだけたカラヤンといったところ、せめて岡田真澄?)。竹中直人では全く漫画でしかない、映画版の方向性がこれで分かる。イメージ破壊なのだ。



(251) 日の丸



先日、正確には平成二十一年十二月二十三日の朝、我が家は戸口に国旗を掲げた。

天皇誕生日という国民の祝日を祝ったのである。

国旗は前日に近くのホームセンターで買った。置いてあるとは思っていなかった(店員さんも良く知らなかったようだ。殆ど売れない商品なのだろう。)ので、いわば衝動買いだった。1590¥だったと思う。価格もリーズナブルというか、思ったより安かった。つまり、私にとって国旗掲揚は初体験だったわけだ。

 

ご近所には祝日の国旗掲揚を習慣にしているところはあまりない。従来隣組24軒で1軒(ここは自称元右翼の独居老人で、玄関以外に裏庭に大きな一本を掲げるので、計2本と数えることも可能だが)、その更に上部の町内会二百余軒でも、私の知る限り域内にある特別養護の福祉施設で掲げている以外は知らない。だから我が家が掲げるようになったら、3軒になって、多分町内全体では1パーセントを越えることになるわけだ。

国旗掲揚は日中が原則だ。早朝、明るくなるとすぐ車の中に隠していた国旗セットの封を切り、組み立て、家族に知られないようにしてトタン鈑金製の安っぽいホルダーに挿した(ホルダーだけは前日に玄関の柱にそっと木ネジで取り付けておいた)。心配していた天候はまあまあで、旗頭(金の玉のこと)が明るい朝の光に輝き、3本つなぎの竿の長さが実に適切で、旗は玄関の軒端をわずかに越えて、朝のさわやかな風にへんぽんと翻った。あまり勢いが良かったので、旗ひもの括りが解けないか心配なほどだった。


私の記憶では、関西(京都府)の生家では戦後も祝日のたびに国旗掲揚をしていたと思う。父は特別な思想の持ち主ではなかったし、ご近所とあまり変らない平均的な貧乏庶民だったから、国旗掲揚は当時日本人のごく普通の習慣だったのだろうと思う。あまり正確な記憶がないのだけれど、ご近所だって横並びで旗を立てていたように思う。

いろんなネットの質問欄もざっと見たが、日本ではそういった事情も良く似ていて、少なくとも現在では家庭での国旗掲揚が普通に行われているとはいえないようだ。メールの友人も、地域社会で国旗掲揚をするのは突出した尋常でない行為のように見られ、非常に勇気のいることだ、と(彼が敢えてその行為を行っているという証言はない)。


なぜ日本国民は国旗を掲げなくなったのだろうか。それはいつごろからなのだろうか。そういった素朴な私の疑問にもネットをざっと見る限りでは答えはなかった。ただ、この日本の国旗とか国歌(”君が代”だ)とかが正式に法律で制定されたのは意外に新しくて、ここ十年ほどのことだということが分かった。

それによって、国旗の形状や掲揚の方法とともに、公務員が公的な行事を行うときの国旗掲揚、国歌斉唱の義務などがついてくることになった。当時一番話題になったのが、いわゆる公立学校の卒業式などでのそういった行為を公務員(教師)に強制できるのかどうかということで、それ以前から日教組は日の丸国旗と君が代を認めていなかったから、その法律(国旗法、国家法)の制定時にはかなり国論が沸騰した。これは今でも全面的には決着していないと思う。


どの国も、特に古い国では大抵国旗も国歌も慣習的に決まっていて、国民はさほど抵抗も無く、あるいは情熱的にこれを用いたり、歌ったりしているのだとおもう。日本でも明治以来、戦後もしばらくはそういった状況だったのだろう。

それが戦後の日教組などが指導した戦前の国家主義と戦時体制の全否定から始まった反戦教育(の行き過ぎ)が”順調”に国民に浸透することで日章旗は次第に普通の家庭から生理的に嫌悪されがちになり、戦後成長期の形而下の忙しさにかまけて忘れ去られ、君が代という国歌も同様に公式の場では歌われなくなって、ただ大相撲の千秋楽の表彰式だけで歌われる状態にまでなった。そういう図式を描くことは(単純化しすぎるということはあるかもしれないが)さほど事実からずれてはいないと思う。戦後教育がきっかけになったことはあるかもしれないが、やはり多くの責任は国民の怠惰にあるのではないだろうか。


戦後の日教組の歴史教育は最近、先の戦争の全否定を中心にひどく批判され、見直されているけれど、反戦教育はそれ自身大筋では間違ってはいなかったと思う。ただ、日章旗や君が代までを否定するのは行き過ぎ(子供っぽい誤解?)ではなかっただろうか。国には国旗がつきものだし、国歌だってあったほうがよい。うまい代案がないままに現行品を捨ててしまうのは融通のきかない馬鹿な行為であり間違いだったと思う。

しかし十年前にそれを法律で決めようとしたことは、それらに拒絶感覚を持った彼ら(彼らの信奉するイデオロギーが関係していたわけで教育者には不適格だった)だけでなくとも何かうさんくさい、国と時の政権としての特別な事情があったのではないかと勘ぐられても不思議はないだろう。愛国心云々をいいだしたからなおさらのことだ。制定しなければ国旗も国歌も以後永久に忘れ去られてしまう事態が起こるのではないかという危機感が彼らにあったのかもしれないが。


国歌も国旗も代案がない以上、現物が国から絶滅することはありえない。どこかに生き続けて、必要な時にはすぐカムバックするものだと私は思う。世界が国際化するのに連動して民族主義が台頭するように、日本だって自国民が自分の国を意識する機会はどんどん増えるだろう。心配は無用なのだ。

国の全家庭が皆こぞって国旗を掲げるいつかの風景はぞっとするほど異常だと思うけれど、かといって国民の祝日に各家庭が国旗を掲げてこれを祝うという習慣が絶滅しかかっているのはちょっと寂しい事だとも思う。国歌国旗自体の絶滅とは異なり、巷の習慣というものは絶滅することもあるのだ。現在がその端境期のような気もするのである。

ものごとにはほどほどというものがあるけれど、日本人の右に倣え精神が次第に薄れてきているのではないかという期待をこめて、私はなにやら奥ゆかしい感じもあるこの習慣を復活させることにしたわけだ。

こうのとりトキが絶滅するのは避けねばならないけれど、大繁殖して田畑を荒らす事態もまた困るということだ。

そういった意味ではご近所の奥さんが私の国旗掲揚を斜め目線で見ていたこともまあ許されることかもしれない。ここ十年は国旗掲揚がブームにならず、私も晴れがましい気分でこの誇らしい個人的行為を隣組のはたがしらとして続けられたらと思う。


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