(6)雪舟、日本刀のうんちく

私は、朝は強い方だ。6時には目覚めて風呂に入りなおし(贅沢かもしれない)、ゆっくりする。駅直行でなければ、旅先で朝早くからばたばたするのもあまり効率的ではない。大抵の公共的なサービスは午前十時始まりだし、それまで門の前で待たされる惧れなしとしない。その十時までは当然の権利としてホテルでは部屋に居られるのだけれど、近所の部屋仝々をひっくり返す掃除婦たちがどんどん身近かに迫ってくるのを感じると、性分として早く出なければ、という切迫した気分にもなるのである。
結局、9時前にはチェックアウトを済ます。サイドテーブルに置いてあった「まるごと島根プレゼントキャンペーン」でうまくいけば島根和牛1頭か、もしくは食器洗い機、または安来節の出前派遣(こんなのが当たったらどうしようかという不安はあるけれど)を当てようと決め、添付のはがきの裏にホテルのスタンプをもらうために、無人のロビーで呼ばわった。しかし出てきたのは例の掃除のおばはんで、ホテルの管理者は今いないという。ともかくサービスの皆無に近い(AVのチャンネルはなかったし、電話も部屋からは通じなくて、ロビーの公衆電話を利用してくれと但し書きがあった)ホテルだ。しかしこ
こであきらめるわけにはいかない。渋るおばはんを説得し、ともかく「とらや旅館」のゴム印を捺印させるのに成功した。あとは島根県と益田をほめちぎる小文を書いて切手を貼り、投函するだけだ。しかし、当たるはずはないよね。ともかく籤運の悪い私なのだし。
駅前のパーラーでモーニングサービスを頼む。和食ということだったけれど、サラダ皿と味噌汁にご飯という奇妙な和洋折衷だった。コーヒーの味も知れたのでそこそこで出る。正面のバス停から医光寺行きに乗る。私一人の専有で終点折り返しまで180¥だった。雪舟庭で有名な医光寺は正面の古山門の古さ、大きさで驚かされる。これは益田七尾城の大手門を移したものだという。しかし、いずれは修復しなければ朽ちて倒潰する運命なのだ。石造りでない日本建築の悲しさである。寺内に入り、雪舟庭を拝観させていただく。正面の鬼気迫るしだれ桜は、また開花の時期に来てみたい誘惑にかられる凄みがあった。離れの堂内欄間に飾られた多くのひょうきんな像が面白い表情だった。これらも随分古いものなのだろう。

医光寺を出てやはり雪舟庭のある時宗道場万福寺へ。時宗というのは仏教の宗派では異端に近い変わり物だと思う。うちの奥さんの実家がそうなのだけれど、葬
のときはいくつもの鳴り物や踊りなどもある賑やかなものがあって、ちょっと驚いたことがある。もちろん万福寺は万寿の大津波(鴨山の島が沈んだ)で失われたこともあるという古い寺である。多くの仏像や曼荼羅などがその古さ、力の大きかったことを物語っている。ここにも雪舟の造営したといわれる日本庭園があった。もちろん私にはその値打ちはわからないけれど、庭そのもののつくりよりも、その背景にある自然とのまじわり、山と林のただずまいに何かしら違和感を覚えた。借景というのでもない、庭園そのものの奥の広がりに雑然としたものが感じられ、庭全体の調和を乱しているような気がしたのは素人のうがちすぎだろうか。


万福寺を出て、近くにあるという歴史民族資料館を探す。ごく古い町の公民館で、無料らしいので靴を脱いで入ると、なにやら雰囲気がものものしい。館員の世話役らしいのにどうぞ、どうぞと椅子をすすめられる。奥のほうで内輪の講演会のようなものが進行中だった。断ることもできずそれに加わる。しかし二十人あまりの聴衆が熱心に耳を傾けていて、どうやら、日本刀の目利きによる手入れの仕方、鑑賞の方法などが語られているようだ。訥弁の講師の手で今まさに刀が抜かれようとしている。抜く時は一気にせず、少しばかり抜いて、そこで止めたのちぞろっと抜くと怪我をしない、とか懇切をきわめたものだ。綿棒で打ち粉(細かい磨き粉らしい)をまんべんなく刀身にうち、ネルで油を拭う。時代劇の映画のシーンで見慣れた光景だった。刀の姿とひかりをしっかり眺めるには油は邪魔なのだ。ひ(樋?血みぞのことか)に溜まった打ち粉が先端から抜けて、大事な先端部にいらぬ磨きすじがつかないように、必ず先端近くで止め、こすり抜かないように、とか、なかご(こみ、ともいう。柄が嵌る刀の根元)はさびが出ても素手でこする程度にとどめ、決して磨かないのが常識だとも。めったにない行事なのか、ヴィデオカメラに撮っている関係者もおられた。なかなか面白く、あとで鎌倉刀の真剣に触らせていただいたが、旅行者がこれに加われたのは幸運とせねばならないだろう。


島根は古来、たまはがね(日本刀の原料鉄)の産地であり、伝統的な鉄鋼業が栄えたのは「もののけ姫」にもあったとおりだ。ちょっとここからは遠いけれど、安来はその中心で、日本の工具用特殊鉄鋼技術をリードする日立金属鰍フ工場もある。
日本刀の講釈にも飽き、展示を見て回る。刀が多数あった。益田出身の文化人として徳川夢声が紹介されてあった。



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