(3)京都・すこしよりみち

 

  京都での目的は、東寺に参拝すること。二年前感銘を受けて忘れられないでいる仏像に再会したいということである。東寺(教王護国寺)は公開されている国宝も多く、京都を代表する寺だと思うけれど、清水さまや三十三間堂などに比べ、意外と知られていないようだ。日本で一番高い五重の塔は鉄道敷設以来、ずっと京都のシンボルであり、巨大な新京都駅ビルが建った後も変わらず新幹線からよく見える。何よりも駅から歩いて(早足で)十分ほどで行けるのが嬉しい。ここの金堂に在ます薬師三尊、特にその中の月光菩薩さまに感銘を受け、ずっと、今一度と思ってきた。二年前、あちこちの仏さまを参拝して回ったけれど、この仏さまが私にはぴたっときたということだろうか。最高に愛らしく、もったいなくも魅力的に映ったのだった。その印象を大事にとっておくべきだという意見もないではなかったけれど、やはり私はまた来てしまった。来てよかったと思った。やっぱり、あの時の印象そのままに、愛らしい菩薩さまだった。少し記憶と変わったのは、少し小柄になられたのでは、ということだ。もちろん感銘は変わらなかった。

  東寺を出て、JRのガードをくぐり、西本願寺、東本願寺を覗いて駅に戻る。京都はミレニアムの来年、大祭が催されるらしく、あちこちでお化粧なおしが続いている。西本願寺(もっとも、寺の内そとではどこにも西本願寺という文句はない。あくまで本願寺である)でも本堂がすっぽりと巨大な構造物で被われ、屋根などの修復がなされている最中だった。そのためだろうか、参観者が少なかった。お東さんといわれる東本願寺に回る。こちらの方は団体客を含め、外人など多数のひとがうずまいていた。もともと西の方が主家筋であり、古い建物も多いというが、分裂後四百年を経過した今日、現状での人気には余り関係ないようである。

  駅前に戻り、地下街を夕食のための店を物色して回る。予算の関係でたいしたものは食べられないが、この時間が一番楽しい。しかし余り腹が減っていないこともあって、なかなか決まらない。広い地下街やデパートをうろうろと時間を過ごす。大体、こういったことに私は決断力がない。余り好悪がないし、うまいものを食べたいという欲が少ないのだろうと思う。それなら、どこにでも飛び込めばいいではないか、と言われそうだ。しかし私なりにこだわりは、多少ある。そばと、それにライスカレーを外食で選ぶことはない。ハンバーグもそうである。夕食、それに昼食をパンにすることは殆どない。だから、最近増えているアメリカから来たファーストフードの店には入らない。もっとも、それなりに選択の幅が与えられればの話であって、それしかなかったら、ちゅうちょなくどれにでも入る覚悟はある。私はこと食生活に関する限りアマゾンの奥地でも、無人島ででも生きていける自信はあるのだ。

  京都駅へ戻り、一旦新幹線側(つまり東寺側)へ渡って、近鉄のホームに近いレストラン街へ入り、和食の店に入って焼き魚の定食を頼む。まだ六時にならなくて、客は私一人時間になれば込むのだろう。椀や付けだしの皿が沢山積んで用意してある。五十年配の亭主とその奥さん、そして手伝いの奥さんの友人といった女人がカウンターの向こうでなにやら多少の行き違いがあるようで、感情的と言えないこともないやりとりが交わされる。どうやら、店頭に掲示されてあったお吸い物の具が足りないようで、にゅうめんを切らして、赤だしだけで勘弁してくださいとのこと。特に注意してなかったので、いいよ、と言ったのだけれど、うるさい客なら、一騒ぎあったかもしれない。すぐショウケースの中身を入れ替えていたようだ。亭主はずっと機嫌が悪い。客の前でもてなし役同士がごたごたするのは、特に感情を荒げるのは本当に困る。そのうち常連の女客が来て、亭主と話を親しく交わすころになると店の雰囲気も良くなった。

  酒が入って気分も良くなり、思いついて、先刻偶然見つけたデラックス東寺へ向かう。これは全国チェーンなのだろう。各地に同様のものを見る。見つけねばよかったのだけれど、単身赴任の時には捜して捜し切れなかったものを、こんな旅先で見つけてしまうところに一人旅の妙もあるのだろう。名前の通り、名刹東寺と目と鼻の先に、ひっそりとそのストリップ劇場はあった。黒を基調とした和風のファサード、渋い呉服屋の構えのようなたたずまいは全く“らしく?なく、看板もイルミネイションも小さく、やはり周囲に遠慮をしつつ営業している、斜陽産業の肩身の狭さがうかがわれた。近付くと中から、ちょっと喧嘩が強そうな中年のお兄さんがいらっしゃいと現れて、前の自動券売機を利用してくださいという。ジュースなどの販売機と全く同じ外観の券売機でK¥7なりの券(高い!)を買い、場内に入る。中はほぼ三分の入り、十人ほどが観覧している。張りだしの回り舞台もある小ぎれいな劇場だった。手足の長い踊り子のポラロイド(即写真が出来るインスタントカメラで自分の全てを撮らせ、それを買って貰うショウ)が終わったところで、最後のオープンショウ、続いてAV嬢のショウが続く。最近では出演者は大抵が顔もOKのポラロイドショウをつける。AV嬢は若くて美人ばかりだからポラも人気がある。もっとも、踊りなどは殆ど歌謡曲歌手の簡単な手振り以上のものではなく、しかし、最後にはやっぱり全ストになるのはあっぱれというべきか、それ以上のことをビデオ撮りで経験しているからなんのこともないのか。とりもやっぱりAV嬢で、真田ユキと言ったか、シャープで愛嬌もある美女だったけれど、踊りもなかなかのもので、最後は張り出しの回り舞台で、全裸のまま、アクロバットのような逆さブリッジまでサービスする。もちろんポラもさせるけれど、これは前の各嬢とは格が異なるというのか倍値の¥千/枚なり。それでも結構希望者がフラッシュをたいて、バックスタイルなどを撮らせてもらっていた。以前は特別な子だけで、それも顔を隠していたものだけど、世の中は変わっていく。彼女たちの意識も変わったのだろう。どこかで聞いた、彼女たちがビデオなどに平気で顔を晒すのも、商売を辞めたあとは、整形して世間へ入って行くという方法があるからだと。美容整形の技術も昨今では飛躍的に進歩しているのだろう。

  すぐあとのフィナーレでは前座の数名と素人嬢だという仮面(ドミノというのか)をつけた若い女たちも出た。総勢の顔見せをみて、たいしたことはないとそのまま出た。この種の劇場は入れ替えがないので、時間さえ許せば、最終のトリの午後十時まで居られるけれど、京都発米原行きは二十一時二十七分で、駅へは十分は見ておかねばならないから諦めた。それにしても、真田ユキ嬢は良かった。あれで脚がもっと長かったら完璧なんだが、ないものねだりというものだろう。K¥7は高くはなかった。

  また駅の近鉄街の喫茶店で時間を潰し、快速長浜行きに乗って米原で降り、五分待ちの大垣行きに乗り、十三分待ちでムーンライトながら二十三時九分発。急行ではないが、全席指定で、昔の普通夜行列車のように床に寝転がってという乗り方は出来ない。心なしか雰囲気も上品な、静かなグリーン車の趣がある。車両も新しい。車内には新幹線車両で見かけるドットマトリクスのディスプレイが次の停車駅などを漢字まじりで表示するし、座席は背もたれが傾き、フットレストもある。まあまあである。乗車率は四割弱で出発。途中、名古屋あたりでかなり乗ってきたが、結局八割ほどで安定した。横の席にも若いサラリーマン風が乗ってきた。彼は沼津で降りた。車内放送は安城の前あたりで終了したけれど、明かりは暗くならず、浜松から沼津あたりでうつらうつらしただけで、眠った実感がないまま東京に十三日四時四十二分着。“東京?の途中下車印を押して貰って丸の内側へ出る。雨が降っていた。傘を忘れてきたのが悔やまれる。煉瓦作りの駅舎を正面から見たり、駅舎の中の写真展などを見て時間をつぶす。内回りの五時三分で上野へ同九分着。

 

  計画中には随分迷ったのが東京で一、二日寄り道すること。東京でぐずぐずしたら、それこそ一週間あっても足りないだろう。それで今回は東北以遠にこだわり、素通りすることにした。計画では上野六時五十一分快速ラビットだった。これで以後鈍行ばかりで青森二十一時十五分着になる。素通りと決めたら、早い方がよい。時刻表を見直したら、上野発五時四十七分黒磯行きがあったので、これにした。でも上野ではまだ時間が余った。途中下車印を押して貰おうと改札へ行ったがだれも居ない。車から売店に置くコッペパンなどを降ろしている職員がいる。朝食をどうしようかと思案していたので、これを買おうかと考えたが、牛乳も必要なので、止めた。改札が開いていたので何となく外へ出て、近くの上野美術館の掲示板を見る。“死の舞踏?特別企画などがあるようで、大いに食指が動いたが、計画は変えなかった。東北線のホームへ移動し、やたら厚底のかっぽれを履いたホットパンツのお姐さんがうろうろしているのを眺めたりしながら時間を潰した。

  少し明るくなってきたホームから五時四十七分黒磯行きが出発する。おく、あかばね、うらわ、さいたましんとしん。埼玉新都心の名に恥じない大層な巨大構造物群があたりを払って立ち並んでいる。ひとつは屋根付きサッカー場のような形だが、ほかにも幾つも奇をてらったようなビルが高さ、大きさを競っている。民間が作ったものだろうか。そうでなければ、また国債赤字を増やすもとになるのだろう。

  宇都宮で十分の停車七時二十九分〜同三十九分があったので、ホームに降りて立ち食いのうどんをかきこみ、朝食にした。こんな慌ただしい立ち食いは十年以上前の京都駅以来のことで、なかなかいい首尾であった。こんな時のうどんは実に美味である。車内に戻ったら席を占領されていたが、近くにひとつだけ空いていたのでそこに座る。宇都宮を過ぎると次第に車窓には田園風景が優勢になる。畑の土が真っ黒である。こんな土は九州では見かけない。黒磯の名の所以か?。八時三十四分黒磯着。郡山行きが同三十七分発。郡山九時四十二分着。ここで新幹線に乗り換える。今日中に青森に着けばいいようなものの、出来れば明るい内に着いて街をしばらくでもうろうろ出来る余裕が欲しい。郡山の新幹線ロビーから青森のホテルに電話を入れて予約する。直接飛び込んで頼んでもいいのだが、そこで断られたらしゃくだし、効率も悪い。多少の(悪い宿を選ぶ)危険を覚悟で、少しでも早い予約をする方がいいかもしれないと最近では思うようになってきた。第一希望でOK。この日のために“青森弘前マップル情報版?を買った。気ままな旅であるが、情報は多いほうがよろしい。特に新しい情報はホテル捜しには不可欠である。後日小樽、札幌用に“るるぶ情報版?も買ったけれど、両方とも市街地図、細かい公共施設のデータなど充実し、値段も一緒¥781で甲乙つけがたい。

  郡山から十時二十四分発MAXやまびこ。例の500系、あひるのくちばしを思わせる斬新な顔の先頭車両を持つ。このMAXやまびこは途中仙台で半分を切り離して、八両だけで盛岡へ向かうとのこと。あひるが列車の真ん中でもくちばしを突き合わせて、大きな連結器でつながっているのが異様な眺めだ。つまりあひるは、このやまびこには都合四羽いるわけだ。号車番号が上り方向へ若く、思惑と異なっていたので、慌てて走って前へ行く。山陽新幹線などとは逆になっているのはどういううけだろう。東京駅に着いた車両がそのまま上野駅へ進んで、盛岡へ走り出すことを想定しているのだろうか。そういったダイヤ、博多発盛岡行き、秋田行きなどという新幹線は、考えてはいないという関係者の話を聞いたことがあるが、ただ利用者を見込めないというだけでなく、そういった、ショート出来る路線がない。ハードとして都心内では建設するスペースがなく、凄い工事になって、作れないというようなことでもあった。多少遠回りでも、実際に走れるのなら、福岡から秋田などという壮大なダイヤでなく、郡山始発熱海行きなどといったローカル新幹線なら売れる可能性があるのではないだろうか。

 

  このMAXやまびこは全車両二階建てで、私が走り込んだ座席は一階だった。一階というより、地下一階とでもいうべき見通しの悪さで、すぐ階上に移動して空席を捜す。盛岡までの二時間を読書などで過ごす気にはなれない。早過ぎる、余り駅にとまらないという苦情(?)の出がちな新幹線ではあるが、全線高架であり、とくにこんな二階席に座れば、車窓の見晴らしは在来線の比ではない。宮脇俊三氏も勧めておられるが、地図を用意して、車窓からの眺めと引き比べれば、楽しさは倍増するであろう、とのことだけれど、ではどんな地図が適当か、と聞かれれば、絶句する。新幹線とて地上を走る乗り物であり、見れる範囲から言って五万分の一の沿線地図位が一式用意出来ればいいのだろうが、特にこのような全国をまたにかける旅では、リュックの中は地図ばかりということにもなりかねない。結局、中学生の全国地図(精々六十万分の一か)になってしまうのではないか。それでも、遠景の山々などが識別出来て、楽しいはずだ。もっとも、特徴的なしらかばの木が目立つ寂しい山野は見えても、今日は、遠くの山はもやがかかって見えない。何にせよ、私は地図を持っては来なかった。地図と言えるようなものは、時刻表のかなり歪んだ路線地図しかない。それでも、行く先の駅名などが分かって楽しいものだけれど。結局、私はひたすら東北沿線の田園と山野の風景を眺め続けて飽まなかった。

  山陽新幹線の駅は屋根など半分吹き曝しの骨組みだけのものが大半だが、東北新幹線の各駅はしっかり屋根を完全に覆っている。やはり冬の寒さ、雪を防ぐ意味があるのだろうか。高架駅でもあり、巨大な構築物になっている。これだけの施設でなければならないのだろうか。在来線の、板張りのホーム、駅名標以外何もない素朴なローカル駅が思い出された。盛岡十二時二十六分着。十二時四十一分発はつかり九号に乗り換え。駅で買った幕の内弁当を食べながら青森へ向かう。五百の缶ビールが利いたのか、一の戸、二の戸、三の戸までは数えたが、八の戸、三沢、そして小川原湖のあたりを不覚にも眠ってしまった気がつくと、既に野辺地の近くに迫っている。深い青の陸奥湾が見えた。太陽が降り注ぎ、実に旅行日和だ。しかし、野辺地とは寂しい地名だ。辺境、野辺の送りとかいう言葉を連想するからだろうか。のべじ、この音にアイヌの地名を感じるのは私だけだろうか。

  ずっと海を眺めながら走る。海は美しいが、冬の陸奥湾はまた違ったものになるのだろう。東北の何もない山間を走ってきた列車が周囲に幾らかの文化、というより人間たちのわずかな痕跡を(いやおうなしに)嗅ぎわけながら走る。その貧しさといったものが、むしろ自然そのものよりも荒々しい。浅虫温泉という奇妙な温泉駅にとまる。ここは結構元気そうだった。次第に人家が増えて、青森の都市圏へ入っていくのが実感出来る。青森十四時五十六分着。
                                            次章へ
  ホームページへ戻る