妄呟舘あまぞにあ

作家への33の質問 と それなりの回答

本文


(1)金、銀、鉄、アルミニウムのうち、もっとも好きなのは何ですか?

「金、銀、銅、って聞くと、やっぱりオリンピックを連想しますね。今年のギリシャの大会でも、皆メダル、メダルって日本全体が金中毒になったように騒がしかった。あれ?銅じゃあなく、鉄ですか?そうだろうな、金、銀、鉄、あはは、まちがっちゃった(失笑)。鉄ね、鉄、そしてアルミニューム…。ははあ、やっぱり、重厚長大の尻尾を引きずっている伝統的な機械技術者としては、義理もあるし、鉄を選ぶべきでしょうか。やっぱり鉄は今でも産業の米というか、石油と並んで現代社会を成り立たせているベースですからね。いや、違った。私は「作家」としての感性を問われるためにここにいるので、この答えはださいと言われるかな?え、それでもいいですか?
いや、この答えも、ちょっと本心とは違うんです。鉄とアルミと比べた場合、私の好みは『アルミニューム』ですね。あの、昔のアルミの弁当箱とか、そうそう、すぐ梅干なんかで侵されて孔が開いた粉っぽいみじめな金属って印象があるけど、このごろはいろいろ工夫されてよくなっているんですね。軽くて、鉄に比べてやわらかくて加工しやすいし、扱いやすいし、処理をすれば錆にも強い。しかも結構強くて電気も通るからICの回路に使われたり、なべ釜、日用品にも使えるという多彩な面がある。ビールの缶なんか、大抵アルミでしょう?あれ、これもやっぱり感性とは違いますね、この回答。もっとも、これ、鉄もそうだけど、純粋に近いアルミは、実は加工は簡単じゃあないんです。熱に弱いからすぐ焼けたりむしれたりする。でも、うまく削ればきらっと虹色に光ってくれて、嬉しくなる。やっぱり金属なんだって、そんな頼もしさを感じることがある。そんな物です、アルミニュームって。」




(2)自信をもって扱える道具をひとつあげてください。

「希望的には、やっぱり、楽器のひとつでも自由に扱えるようになりたかったんですけど、本来不器用で、いろいろチャレンジしたけど、何も出来ないままだった。え?何にって?はは、いわぬが花、といっても、やっぱり言っちゃうけど(笑)、中学校でひょんなことからブラスバンドに入ってフルートを持たされたけど、あれ、十本指全部使ってやらねばならないし、不器用もので、ぜんぜん芽がでなかった。高校ではその反省から、3本指で出来る金管楽器に変わった。あとで更に後退して、1本だけで出来るトロンボーンへ追い込まれて(笑)、結局ものにならなかった。社会に出てから、しょうこりもなく今度は弦楽器を買って、チェロですけど、これも持て余して、ギターを質屋から3千円で買って、これは中ではもっとも成功したんじゃあないかな。定番の「禁じられた遊び」とか、「アルハンブラの思い出」とか、フォークソングの伴奏でコードが弾けるようになった。でも数年で飽きてしまって、楽器、どこかへいっちゃった。まったく出来ないですよ、今じゃあ。あ、そうそう、カシオがVLトーンだったか、ミニエレクトーンみたいなのを出したから、面白そうだ、って買ったんですが、これは今でも結構鳴って、ぼちぼち遊んでます。でも自由に扱えるっていう境地じゃあないですね。もちろん1本指です。パソコンのキーの方が速いですね。今では。
「仕事の糧としていうと、私は、一応、機械技術者で、技能者でもありますが、でも何も技能資格は持ってないし、自信を持って扱える道具といってもねー、ひととおり何でもできるけど、ま、身近にはいないけども、いろいろ聞くと、私位の年齢になれば、世間には旋盤にしても、フライス盤にしてもやすりがけにしても、その道で一級の卓越技能者の方はおられるわけで、それらのひとたちに比べれば、自信を持って機械が扱える、ということはいえないですね。ま、仕事として、かつかつ金が稼げる程度の腕しか持たないっていうことです。
それで、また仕事を離れて考えると、やっぱり語るに落ちたっていうか(笑)平凡だけど、車。車の運転でしょうか。もっとも、2種免許は持たないけど、もう30年以上走ってきて、事故を起こしていないというのが、やっぱり自信を持っていえますね。ええ、毎年1万キロ以上走ってます。通勤に、近距離ドライブに、年に何回かは高速道路を中心に千キロ以上の長距離ドライブをします。何時間ぶっつづけで走ってもあまり疲れない方ですよ。飛ばすほうですね。あまり大きな声ではいえませんが、170出したことがあります。ま、大きな車(ホンダ・オデッセイ)で安定感がありますし。え?レース?いや、ライセンスを取るつもりはありませんが、カートは、機会があればやってみたいです。



(3)女の顔と乳房のどちらに強くエロチシズムを感じますか?

「はは、このサイトに似つかわしい質問ですね。アダルト作家としては、本来自分にはなかったどんな偏した好みでも一応は理解しなければならないなって、あるとき思うようになったんですけどね。それで、乳房のフェチっていうか、随分一般的な傾向だと思うけど、それを理解できるようになったのは、実は、私、最近なんです。え?意外だって?ま、そんなプロ根性の訓練法というか、技術的?なことはおいて、個人的に顔と乳房のどっちがいいか?あ、違った?ま、そういうとこでしょ?やっぱり顔でしょうね。乳房って、大きいか、小さいかだけでもないとは思うけど、顔に比べれば、まったく個性が少ないじゃあないですか。その点、顔はひとそれぞれ、まったく違う。それに、同じひとつの顔が表情の変化で別人のようにになるときもある。美女であってもエロチシズムを感じない顔というのもあるし、その反対もないとはいえないし、だからすごく面白いといえるんでしょうね、この多様な人間の顔っていうやつ。え?好きな女優はって?そうですねえ、とりたてて、この女優を見に行くというような映画の見方もしないし、サイトにはへップバーン(オードリー)とか、ミラ(ジョボビッチ)とか書いていたと思いますが、ま、想像にお任せします(汗;;)。」



(4)アイウエオといろはのどちらが好きですか?

「それは、やっぱり“いろは”でしょう。日本語の特色を端的に示した基本文章のようなもの、というより、他の言語では考えられないものだと思います。もっとも、私は他の言語といっても、いろいろ比較できるような学問はしていませんが、たとえば、アルファベットをひとつずつ使って意味のある文章が書けますか?いろは歌って、弘法大師が作ったって説があるそうだけど、実にうまく出来た、内容のある詩文だと思います。作ったひとは天才だと思います。近年このいろは歌の謎解きが、---そうそう、とがなくてしす、ですか、人麻呂の死を暗示しているというのもありましたが---、はやっているようですが、日本語という文化の深さ、多様さを感じますね。


(5)いま一番自分に問うてみたい問いは何ですか?

「そうですね。差し迫った問題として、何やってんだ、ここで?ってことでしょうか。いつまでこんなこと、やってんだ?ってことでしょうか。いつまでやれるんだい?っていうのも気になるけど、それは自分に聞いてもしかたないし。」

「ずっと避けてきたことのように思います、この問いは。最初にこのサイトを出すときも結構悩んだんですが、ままよ、えいやっ、て思い切ってやってしまった。そのあとは、予想していた『おい、やめとけよ』という人間は現れなかった(初期、いないでもなかったけど)し、それも含めて、活動自体思ったより順調だったということもあります。」

「そういう意味で、なかなか真剣に思いを深める機会がなかったということでしょう。いずれ、また本腰いれて問うてみなければならないと思います。そのうえで、勇気があれば、撤退することもあるかもですね。でも、そんなこと、出来るかな?それも問うてみたいですね。あれ、ひとごとみたいに言うんですよね。



(6)酔い覚めの水以上に美味な水を飲んだことはありますか?

「私は、毎日呑むけど、晩酌程度で、本来のんべえじゃあないんです。酒の種類も限られてるし(日本酒、熱燗、酒によっては冷やも、ビール、あとは焼酎のお湯割り位、無ければ梅酒もあり)、徹底的に呑んでおぼれたことはないです。あ、いや、若いころ、まだ実力を知らなかったころに2,3度ひっくり返ったことはあったな。だから(酔い覚めの水、下戸知らず)って言葉、実感したことは、正直、ないです。私が本当に美味だと思った水は、若い頃、真夏に思い切りスポーツして(それも1、2年間)、乾いた喉を潤した水ね。あれがうまかったな。ずいぶん平凡な答えですよね、これも。

(7)前世があるとしたら、自分は何だったと思いますか?

「これ、難しい質問ですね。なんだったんだろう?どうせ、ろくなものじゃあなかったろうということは出来る。多分、犬、だったんじゃあないか。主人に結構尽くしたんで、ご褒美として人間になった。私は気に入っているんですが、犬の生き様。」

それとも、既に人間になっていた、かな?どうせ、いいくらしなど出来なかったろうと思いますがね。日本なら農民ですよね、十中九割は。悲惨だったろうなあ。江戸時代の農民。でもご先祖がうまく天寿を全うしたから、今の私があるんだろうし、あ、いや、これは違ったかもですね。でも、前世のことをしっかり覚えていられたらどんなにいいだろうとは思いますね。人生?を何度も生きられるってことですからね。


(8)草原、砂漠、岬、広場、洞窟、河岸、海辺、森、氷河、沼、村はずれ、島、----どこが一番落ち着きそうですか?

「村はずれ、ていうのが、一番中途半端で落ち着けないみたい。どっと村から見知らぬ村びとが群れてやってきそうで、恐怖感がありますね。あとは大同小異、どこも私の好みの場所です。やっぱり人間嫌いなんだって思われますか?でもね、広場、っていうのも、見知らぬ他人が行き交う賑やかな公共の場所にひとりでぼやっとたたずんでいるのも好きですね。没交渉、干渉されないっていうのがポイントなんだな。だから、逆に誰もいない、誰も来る気配のない岬の突端とか、砂漠の真ん中とか、草原とか、洞窟もまったく悪くない。ただ、氷河、っていうのは、危険な感じもあって、落ち着けないのかな。あ、いつだったか、北アルプスの雪渓をずっと歩いたことがあって、そんなものかもしれませんね。涼しくて、凄く楽しかった記憶があります。ええ、友人たちもいたけど、一人のようなものだった(笑)。でも、その場に座り込むと尻が冷たいし、あまり落ち着ける場所ではないですよね。
島、無人島にひとり暮らすってのもなかなかいいかもしれない。もちろん最低限の暮らしが保障されればの話ですが。さあ、ひとつに絞るんですね?どうしようか?多分、大きな河のそばか、海辺になるのかな。海辺は津波がきたらやばいし、やっぱり河岸でしょうか。ひねもすゆっくりと動く河の水をじっと眺めて、孔子のような気分になれたらいいな。」


(9)白という言葉からの連想をいくつか話してくださいませんか?

「白いシーツ、白いタオル、清潔な窓辺の白いレースのカーテン、つまりシングルのホテルの一室。私がくつろげる場所でもあります。“自由だ”っていう気分。(8)にはなかったものですが、あ、いや、洞窟があったけど。結局閉所恐怖症の反対、閉所歓喜症とでもいうような気分があるのかもしれませんね。小人閑居して悪をなすってところでしょうか。冗談です。もっと清潔な連想がほしいですよね。白い紙、白いケント紙。昔からそんなものが目の前にあったら、凄く嬉しかった。自由だ、という気分がふつふつ湧くんですね。何でも、夢想したものが書けるって。あ、さっきの連想と一緒になった。」



(10)好きな匂いを1つ2つあげてください。

「においといえば、何か官能的なものを連想するんですよね。人間以外の生き物はみなほとんど匂い、臭いって言った方がいいんでしょうが、それでお互いの性を意識して、求め合っているらしいんで、やっぱり人間もそんなことがあっても自然なのかもって思いますが、おおかたの常識では、それは禁忌に近いことなんですね。むしろ人間は自身の臭いを極力消して、体を洗ったり、他の匂いをつけてごまかすことで社会を運営してきた。つまり、男女の性の臭いがあまり強烈だったから、初期に作った洞窟社会では、そのままでは混乱する傾向があったってことでしょうかね。
それで、人間の体質も必然的に、自然に変わって、臭いに鈍感になり、体臭自体も薄くなってきた。それに反比例して、今度は人工的な性の匂いを婉曲に香水でにおわせることになってきた。主に女性ですが。でも、私はそんな香水の匂いをあまりいいとは思わないんですね。ただ、線香の匂いは悪くないと思います。

「そういえば、最近やっと気が付いたことですが、足の臭いって、あれ、やっぱりそんな臭いの一種で、足指の股の腺から発生するらしいんです。変な話ですが、ああ、くせえなあ、っていいながら、何か、それに惹かれる気分もあるんですね。よっぽど、何かの腐った臭いは当然、それこそ駄目ですが、体臭っていうやつは、汗臭いっていうのも含めて大抵が性の臭いの親戚だと思うと、まったく人間に害を及ぼさないというだけでなくて、むしろ内面をくすぐる、快感になる意味もあるのかなって思います。ええ、汗の臭いも私は嫌いじゃあないんです。」



(11)もし出来たら、「やさしさ」を定義してください。

「思いやりっていう言葉とほとんど重なるのかなって思うけど、それもちょっと違うような気もしますね。思いやりって、相手の立場にたった深謀遠慮のことでしょうし、当面の不快は我慢させてでも、相手のためになることをびしっと言うようなあらわれもあると思うんです。あれ、違いますか?それは誤解を受けることも多いし、いわゆるやさしさではないように思いますが。
やさしさというのは、私の印象としては、むしろ思いやりの前の、手続きとしての態度ですね。それは皮相的なものかもしれないけど、単なる礼儀といったものでもない。慇懃無礼にはならなくて、ともかく相手が十分に納得できる快適な態度というようなもの、それがやさしさというようなものなのかなって思います。もちろん単なる完璧な礼儀正しい人間をやさしいにんげんとはいわないでしょうけど、実際的な、しなやかな礼儀というものがやさしさになるっていう理屈も私はもってはいるので…。けれど(笑)、それじゃあ貴方は納得されないでしょうね。つまり、ですね、どうも私はやさしさという言葉には懐疑的なんだな。やさしいひと?ふーん、それで?といった感じ(笑)。
多分、貴方が思っておられる理想的なやさしさという定義は、もっと熱い、セクシュアルなもので、思いやりなど突き抜けて、理屈じゃあなく、もっとお互いの内面まで入っていかなければならないって思っておられるのでは、と思いますが。え?違いますか?もちろんそれが出来るひともいるのかもしれないけれど、そして相手によりだろうけど、私は出来ませんね。
それは相互主義でなくてはと思うし。そうそう、相手もそう思わなくては、こっちばかりが熱くなっても困るでしょう。報われない愛というもの、これが世にはないとはいわないし、それが出来るひとはすごく尊敬するけど、やはりキリストのような、まったく稀な素質じゃあないでしょうか。私は不器用ということもあるし、これまで報われることが少なかったから…、はは、本音が出ちゃった。」


12)一日が二十五時間だったら、余った一時間を何に使いますか?

「そうですね、やっぱりパソコンの前に座ってるかな。これ、貯めて、丸1日とか、一週間とかにして使えないの?無理?一ヶ月では丸1日になるもんね。それだけ貯められたら、まず旅行しますね。どこか、ぶらりと、目的を定めない旅行。え?一日くらいを旅行とは言わない?ま、いいじゃあないですか(笑)。では散歩とでも彷徨とでも、なんとでもいってください。」


(13)現在の仕事以外に、以下の仕事のうちどれがもっとも自分に向いていると思いますか?指揮者、バーテンダー、表具師、テニスコーチ、殺し屋、乞食。

「私に出来ることって、あまりないですね、こんなかでは。え?現実的なことは抜きで、単にやりたいことでもいい?そうはいっても…、ねー…(笑)、やっぱり表具師かな。不器用だけど、ひたむきにやれば出来ないことはないって気がしますね。乞食も、やれって言われれば(笑)何日間は出来るかもですね。これも最近だけど、バーテンダーってのも、意外と自分に向いているのかもって思うようになりましたね。あれ、別に無口でも、無愛想でもできるんですよね。あまりお客さんに不愉快な思いをさせなければね。時々はあいづちを打って。まあ、指揮者、殺し屋はないな(笑)。テニスコーチも、これはまったく不向きなんだ、やりたいとも思わないし。うん、響子さん(めぞん一刻)のような生徒はめったにこないだろうしね、私なんかがコーチになっても。」

(14)どんな状況の下で、もっとも強い恐怖を味わうとお思いますか?

「やっぱり、もう、とりかえしがつかないことをしてしまった、という激しい後悔を感じる時でしょうね。それは、いつだって、明日にも可能性があるんだけど、交通事故を起こして、自分の車でひとをはねちゃったとか、思わずかっとして、誰かを殺しちまったとかいうとき。そう、そう、萩原朔太郎が書いていますよね、自分が自殺した瞬間の想像、その時の自分の心の動きを恐怖している。これを読んで、ああ、私とおなじことを考えてるなって興味を感じたことがあります。彼、自殺を思ったことがあるんでしょうね。私?ありません。」


(15)なぜ結婚したのですか?

「これも答えづらい、意地悪な質問ですね。やっぱり、社会人として一人前に見られたかったし、ひとつの出会いがあって、相手も同意したもので、してしまったってことでしょうか。これが何で答えづらいかって?いや、もっと平凡でない答えを期待されていたんじゃあないかって思ってね。平凡なんです、私の私生活は(笑)。ええ、親戚の世話焼き叔母さんがセットした見合い結婚、私としては始めての相手で、一発回答でした。


(16)嫌いな諺をひとつあげてください。

「出る釘は打たれる、とか、ながいものには巻かれろ、とか、何か自嘲的な、なげやりな感じが嫌ですね。昔から日本人がそうして細々と村社会というものを維持してきた、みみっちい知恵みたいなものがこれにはあるんでしょうけどね。でも、それが今も実際に常識みたいになっていて、何も疑わずにそんな体質にまみれてしまっている。お上のいうことは全部鵜呑みにして、唯々諾々と従う。その反動として、目下のいうことはまったく意に介しない。そんな人間とは、私は肌が合わないけれど、でもこれは現実として多数存在するから、何とか妥協しなくては社会で生きていけない。もちろん、私がずっと関わってきた社会ってのもまったく狭い場所ですが、特殊な例外とは思えないんです。こんな悩み、やっぱり普遍的なものだと思いますよ。


(17)あなたにとって理想的な朝の様子を描写してみてください

「自由なんだ、と感じられる目覚めというのがポイントでしょうね。日常から切り離された、休日の一日が始まるという楽しい予感、それに朝日がさっと窓辺から爽やかにさし込んで、一日の快晴を保障してくれる、やはりどこか一人旅で行き着いた旅先のホテルの一室でしょうか。朝食は何でもいいけれど、やはり6時から7時までの間にとって、それもホテルのサービスじゃあなくて、一度ホテルを出て、近くの街をゆっくり歩き回り、気が向いた静かなカフェのモーニングサービスをゆっくりと愉しむ。それからホテルへ戻ってゆっくりとまだ白紙のままの、その日一日の計画を考える、そんな朝。追い立てられるような、慌しいチェックアウトまでの時間にとらわれない、数日の逗留が出来る部屋で、一日何もしないで考え事をして過ごす選択肢もあれば最高でしょうね。でも、やっぱり出かけるだろうな、8時までには。貧乏性ですからね、私は、どこにいても

(18)一脚の椅子があります。どんな椅子を想像しますか?形、材質、色、置かれた場所など。


「一脚というんですね、椅子の数え方って。でも大抵は四つ足でしょう?椅子って。ま、そんなとこから椅子がいきものみたいに歩き出すとかいう連想が出てくるんでしょうか。こんな連想はあまり詩的とはいえませんが。むしろホラー?でも椅子って、家具の中では例外的に厳しい使われ方をするじゃあありませんか。人間の全体重を偏って受けて、しかもめったにこわれもせずじっと耐えている。まあ陰役というか、縁の下の力持ちいや、尻の下の我慢屋とでもいうか。そんなストレスがたまって、いつだったか、携帯のシザス式の簡易椅子で、何人ものひとが指を切る怪我をするような、いわば椅子の逆襲みたいな事件が起こったのかなって思いましたけど。でも総理の椅子とか、それに座るひとと一体になった名誉というか、人格を体現するようなことがあるんですね。それも電気椅子とか、あまり名誉でもない使われ方でちゃらになるのかもですがね。え、しゃべりすぎ?

「主を失った一脚の椅子が、あるじを探して夜な夜な歩き回るっていう小説、童話かな?読んだ記憶があるんですが、そう『二人のイーダ』かな。あれは広島の原爆に関係した反戦文学だったように思いますが、その方はあまり印象になくて、ただ、古い椅子がぎいぎい音をきしらせて、びっこをひくようにして動いていくという不思議なイメージにショックを受けた記憶があります。あれは、どんな椅子だったかな、籐椅子じゃあないですよね。やっぱり肌理のなめらかな硬い木を組み合わせてしっかりほぞに差し込まれ、木くぎなんかも打って頑丈に作られた飴色の、高い背もたれつきの四脚椅子でしょうか。安楽椅子じゃあないですよね。あのシーソーのような椅子はしょっちゅう揺らせないとけないような強迫観念があるし、ややもするとひっくり返りそうになるようで落ち着けませんね。やっぱり椅子というのはどっしりと、ひとの全体重を抱擁してくれるような重厚ないものがいいです。
そういえば、先月、ずっと40年近く使ってきた椅子、木の椅子ですが、それが壊れてしまって、結構華奢な椅子だったんですが、よく長い間持ってくれたなと思いました。それで、隣町のリサイクルショップでたまたま見つけた事務椅子を¥3800で買って使っているんです。例のガスクッションがついて、高さもレバーで簡単に調節できるすぐれものですが、同僚にそれを自慢したら、そんな椅子は¥2千台で新品がある、と笑うんです。で、あとでパソコンショップでそれを見つけて、ショックだったですね。それに、古いからか、ガスがしょっちゅう抜けて、だんだん下がってくる。あまりよくなかったですね、この買い物は。



(19)目的地を定めずに旅に出るとしたら、東西南北、どちらの方角に向かいそうですか?

「季節にもよるでしょうけれど、なんとなく、北へ向かうような気がしますね。いや、夏だから北へ避暑に行くとか、冬には南へ向かうというのはちょっと単純すぎる発想ですが。
大体夏以外の季節に北へ向かうというのは、肉体が欲する自然な傾向を裏切ってより寒い、より厳しい土地を目指すわけですから、ちょっと意外感というか、一般的な楽しみ物見遊山としての旅行の意味からは外れるような気分もあるんですね。そういえば、ただうまいものが食いたいからとかいう旅行を、金がないということもありますが、私はまだしていないんです。旅行って、現代人にとってはやっぱり究極のレジャー、ぜいたくだという面もありますけれど、ここは「奥の細道」の芭蕉とか、西行のyぷな、ただ、異なった土地をみてみたいという、それだけの旅行、求道精神といえばかっこいいけど、いや、それだけでもないな。金はないけど、やっぱり、広い意味で享楽的な期待があったことは否定できないですね、白状すれば(笑)。何か、おもしろいこと無いかな、というような、はは…。ま、現実として、九州に住む私の場合、日本のほとんどがうちの北方向に偏在しているわけで、やっぱり北へ向かわざるを得ないという特殊事情もあるということです。
そういえば、『北帰行』というのはどんな意味があったんでしょうか。たまたま東京に出た田舎ものがふるさとへ戻る場合、やっぱり東北の方角が標準としてあったんでしょうか。ま、偉大な石川啄木の例も大きいでしょうしね。私の場合、故郷はうちからみて北東ですが、帰郷というのは旅じゃあなく、その反対の概念でしょうしね。大体、故郷はあまり行きたくない地でもあります。萩原朔太郎ほどに故郷をあしざまに言うような感情は私にはありませんが、共感はできます。偶たまその方に故郷がひっかかっただけで、まだ先の北の方に行って見たい土地がいくつもあるわけで。」


(20)子供の頃から今までずっと身近に持っているものがあったらあげてください。

「小さいころは、それこそ所有という概念がなかったし、貧乏で、何も持たなかったな。それに生家を出てからずいぶん引越しを何度もしたから、これは、というようなものはありませんね。あ、そうそう、最近、小学校の修学旅行のときの観光地のパンフが出てきたことがあったですね。中学校の時の記念の絵葉書もあった。その45年前の熱海の風景の絵葉書、山下清の絵ですけど、それをスキャンしてメイルの会に発信したことがありましたね。ま、そんなものも、意識して手元に置いていたということじゃあないし。そうそう、生家が区画整理で潰したときに見つけた古い漫画本「鉄腕アトム」の初版の単行本が一冊、今、手元にあります。これは売れないな。」

(21)素足で歩くとしたら、以下のどの上がもっとも快いと思いますか?
大理石、牧草地、毛皮、木の床、ぬかるみ、畳、砂浜。

「ハワードの書いたコナンものはなかなか官能的なシーンが多くて、私は好きなんですが、その中に、裸で海を泳いで浜へあがった美女が、砂浜をはだしで歩きだすときの、あしうらの快感に身をよじって悦ぶところがあるんですね。結構そんなつまらないところに生々しい印象があって覚えていたりするんです。でもこの質問、ちょっとエッチな感じがありますね。ま、33の質問のなかでそれほど異質だということでもありませんが(笑)。
「ま、それはおいて、常識で考えたらやっぱり畳でしょうか。一番ひんぱんに経験していることですし、あ、そうです。うちはまだ畳の部屋があります。それと安物の絨毯の部屋ははだしなんです。廊下と書斎の板の間は汚いこともあって(笑)スリッパです。でも、私は水虫症でもあって(笑)、できるだけはだしで過ごしたいと思っています。大理石でも、毛皮でも、はだしで歩けるような環境だったら、結構それなりに快感だろうな、と思いますよ。」

(22)あなたが一番犯しそうな罪は?

「これと、次の質問はけっこうやばい質問ですね。気をつけないと(笑)。私がもうすでにおおっぴらに犯している犯罪というのは、やっぱり著作権の侵犯でしょうね。こんなコピー文化の花盛りの中では仕方が無いという考え方もあると思いますし、いい作品がある限りどんな法律をつくっても侵犯は避けられないわけで、どうしてこれを乗り切るかということを考えれば、やっぱり実害があるかどうかを考えてお互い対処するしかないでしょう。
現実として自分のことは自分で守る、これしかないような気もします。私自身のせめてもの努力としては、やっぱりラプチャー映像はできるだけ小さくして
2次的な被害を避ける。それにテキストなんかは必ず出所と注釈を入れるということを心がけています。」

(23)もし人を殺すとしたら、どんな手段を選びますか?

「そりゃあ、殺す理由によりけりでしょうねー。どうしても、相手への個人的な恨みなどはなくて殺さねばならないときは、銃が一番便利かもしれない。胸か、眉間へ一発、即死を狙うのが相手のためでしょう。逆に、非常に卑劣な相手で、恨み重なるといった相手へはやっぱり出刃包丁とか鈍いサバイバルナイフなんかが最適でしょうね。そうだな、重い手斧なんか、後ろがハンマーになったやつなんか殴りでがあって、ひどい恐怖とかダメージを与える点でいいかもしれない。いや、先の質問ではいわなかったけど、私は結構短気なんで、かっとしたら何をするかわからないって面はありますよ。どんな時にかっとするかって?そうですね、ひどく侮辱されたときとか、結構そんな場面は人生で多かったけれど、やっぱり我慢するんでしょうね、これまでは。でも歳をとってきたら、どうもそんな我慢性が希薄になってきた。え?やばいなあって?(笑)、ご安心ください、冗談です。


(24)ヌーディストについてどう思いますか?

「別に感想はないですね。想像力が及ばないというか、なんでそんなことするんだろうという、いや、うらやましいなんて、まったく思わない。逆に、可哀そうになるというのが正直な気持ちです。だって、そうでしょう。異性の裸をいつも見て、勃起しないんだから、人生の楽しみのひとつを放棄したってことでしょうか。もちろん、誘われても断りますよ。多分恥じをかくのがせいぜいのところでしょうし、そう、勃起してしまうかもということがひとつと、自分の貧しい裸を見られるのは困るという…。大体、それが正常な成人の反応なんじゃあないですか。
「もちろん、もうひとつの理由として、私の好みとしては女の裸なら何でもいいというわけではなくて、ずいぶん贅沢な嗜好をもっているわけで(笑)、しかもたくさんいたらかえって萎えてしまうというのが正直なところですし、その場に臨んで、多くの異性に対して失礼をするかもという気分もあるんですね(笑)。


(25)理想の献立の一例をあげてください。

「私は従来あまり食生活には関心がなかったんで、レストランへ入っても、何をたのんだらいいものか、いつも迷ってしまう。随分時間がかかるんです。伊丹十三が映画で皮肉ってたけど、やっぱり私も誰かが頼んだら、あ、おれも、一緒のやつ、といいそうですね。でもね、あまりウエーターをそばで待たすのも、あれこれ迷って悩むのもかっこ悪いなって思い始めたんです、最近。だから、このごろはある程度決めてる、何を頼むのか、ということね。つまり、中華料理だったら、まずビールの生、銘柄を聞かれたらスーパードライ、そして焼きぎょうざね、そのあと野菜炒めか肉入りのピーマン細切り炒め、それにめしと卵スープがついたら完璧ですね。イタリアンだったらやっぱりほうれん草入りのバターパスタ、それにポタージュスープにこぶりのパンかな。もちろんその前に、なんでもいいけどワインは必要です。フランス料理は好みじゃあないから、というより知らないからパスするとして(笑)、和風レストランならやっぱり熱燗にかつおのたたき、それからさんまの焼きたてにたっぷり大根おろしをかけて、卵雑炊なんかいいいですね。つくんだったら、味噌汁よりもあっさりした具の無いおすましのほうが好みなんです。」

(26)大地震です!まず何を持ち出しますか?

「何だろうか、さほど執着するものもないし、書きかけのフロッピーもどこに何が入っているのかわからないし、本だって貴重なものは何もありませんよね。まあひとなみに財布、とか答えておきましょうか。

(27)宇宙人から<アダマペ プサルネ ヨリカ>と問い掛けられました。何と答えますか?

「はは、まず彼の顔を見て、敵意があるかどうかを判定してから『わかりません、日本語で出来ませんか?』って言いますね。でも、やっぱりそんな余裕はなくて、ともかくまっしぐらに逃げてしまうかもしれない。マーズアタックのように、問答無用でこっちを殺すような悪い宇宙人の可能性も大ですからね。」

(28)人間は宇宙空間へ出てゆくべきだと考えますか?

「それはそうでしょう。既にかなりの技術は獲得したんだし、実際、太陽系外へ人工物を放り出した実績もある。人類全体が移住しなければならない事態がいずれ来ることは間違いないことです。地球がめちゃくちゃになるまでに、太陽が赤化膨張するまえに逃げださにゃあならないって必要もありますし。いや、それまでに人類が滅びるっていうような悲観論に私は与しません。きっとやりますよ、人間は。いずれそれまでに水先案内の宇宙人を地球へ連れてくるでしょう。多分、残念だけれど、現状でわたしたちが最先端をいっているらしいことは見当がついていますしね。

(29)あなたの人生における最初の記憶について述べてください。

「いくつのころなのか、夢だったのか、今となってはわからないんですけどね、何か擦りガラスの向こうに映る影絵のようなおぼろげな姿で、母のような、若い女性の姿があって、前に電蓄があって、レコードを取り出して新しい一枚と取り替えている、ちょっと絵になるような光景。多分、一時父が狂って、親戚知人から金を借り集めて事業を始め、ラウドスピーカーで往来へも音楽を鳴らして宣伝活動をやっていたころだろうか。そこへまでいかない、更に昔、まだ平穏な時代の、ただ愉しみのために母が音楽を聴いている姿だろうか、多分そのころだろうと思うのですが、というのが、前者のころは母はもう事業には協力してなかったはずだと思いますからね。はっきりものごころついたころ、4歳前後だと思いますが、その時期には、そんな電蓄も、レコードも、他にもいろいろあったろうと思いますが、わずかな痕跡というか、鋼製の針なんかを残して、一切家にはなくなっていましたし、ですから、私の音楽好きはそんなころの影響は受けていないと思います。」

(30)何のために、あるいは誰のためになら死ねますか?

「難しい質問ですよね。国家のために死ぬ、とかいうのは、今は破産した考えだと思いますが、かといって家族のために死ぬ、というミニサイズの発想がありうるかどうか。やはり自分は自分でしかないのだし、家族のためとはいっても、結局、自分の家族のためにということでしょう。だから、自分のために死ぬっていうことになるんだけれど、じゃあ自分の何のために?と問われれば、死ぬってことは自分の否定になるわけだから、それも矛盾したことだと思いますね。ただ、名誉のためにとかいうことは考えられるけれど、それが死んでしまった自分のためになるのかどうか、疑問です。そんなところに残された家族のためにとかいう実利があるのかな?もちろん、自分は家族の満足した姿を傍観することは不可能ですし、あ、いや、ひょっとして、死後の自分としての意識を信じられれば、それも可能かな?何にせよ、いろいろぐだぐだ考えていたら、肝心のときに家族は救えないということでしょうか。こんなふうにめめしい男ではありますが、義務感は結構発達しているので、いざというときには玉砕だってなんだってやってしまう予感はありますね、ええ。

(31)最も深い感謝の念を、どういう形で表現しますか?

「『ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。僕は君になんていって感謝していいか、どうしたら、この最高の感謝の気持ちを君に伝えればいいのか、まったくわからない。どうすればいい?教えてほしい!僕は君に、君が望んでいることで僕に望めるることを何でもやれる気持ちがある。言ってくれたまえ、何でも。今、僕は自分が出来ることは何でも、君のためにやってあげられると思う。さあ…。』
結局言葉になってしまいましたが、これはどうなんでしょうか。真摯な気持ちで言えば、ある程度は通じると思いますが、相手はこんな言葉の羅列をどう受け取るでしょうか。単なる芝居がかった薄っぺらな言葉として感じる危険もあるかもしれません。難しいですね、ひととひととのコミュニケーションというのは。

(32)好きな笑い話をひとつ、披露してくださいませんか?

「結構、小話とか好きな方ですがね、ただ、こんな場面は想定していなかったこともあって、次から次に忘れてしまうんですね。そんな小話というか、ブラックジョークみたいなものは、自分ではとても作れませんね。才能が必要だと思います。これは落語だったと思いますが、夜空の星を箒で叩いて落とそうという男に、別の男が、そんなことじゃあとても届かないよ、屋根に上がってやれや、と忠告する話、これがなぜ好きな小話かって?結構ばかげていますが、よく似たことを現実に見聞きして驚いたことがあって、印象に残っているんです。夜の星を観測する時に、強力ライト、単一電池四本のやつですが、それで照らして見るんだといいます。当人は結構生真面目だったんですね。



(33)何故これらの質問に答えたのですか?(あとがきに代えて)

「何か、私のこのサイトでのカラーの変わったコンテンツが企画できないかと考えていて、この古本屋で見つけた谷川俊太郎氏の著書を思い出したんです。それまでに『百の質問』とか、あちこちで見ていましたが、著作権のこともありましたし、質問自体が平凡で答える気がしなかったってことはありましたね。この一流詩人が考えた設問はよく出来ているし、生意気なことを言えば、氏とのコラボという意味も含められると思いました。もっとも、谷川氏には迷惑だろうと思いますし、怠惰ということもあって、なかなか事前了解がとれないのです。もちろん、駄目だ、と声をかけられたら、すぐ下ろすつもりです。
なににしても、凄く楽しかった、という気分でいっぱいです。やあ、ようやく終わった、というより、惜しいな、もう終わったのか、という感じ。
これから、また細部の書き直しなどもぼちぼちやっていくつもりですし、また、こんな企画があれば、挑戦してみたいですね。え?自分で設問しては、って?それは駄目ですね。八百長になるでしょう。自分の答えを想定しながら適当に問いをつくっていくという甘いものになるんじゃありませんか?やっぱり他人の作ったハードルを越えていくところに意味があるんだとお思いますよ。」


終わり'04,10,30 第一稿



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