うすき、ゆめみし

                         
(1)そもそも

 

  昨年(’02.11)我が家へ来訪した義母を伴って、家族で大分へドライブ旅行した時に通過した大分(県)の臼杵(市)が心に残っていた。九州では珍しい三重の塔や、野上弥生子記念館などを目撃し、惹かれた。寄りたかったけれど、時間がなかったし、同伴者どもがさほど興味を示さなかった。それでちらっと横目に通り過ぎただけだった。

  惜しいことだった。

  もう一度来たいと思った。今度はもちろん一人旅である。町に滞在して、見たい場所をじっくり味わってみたい。そんな観光、観光地は自分一人で訪れるに限る。

 

  臼杵は、自宅(筑豊)からは自家用車でゆくにはちょっと遠い。いや、日帰りで、という意味であるが。車はいろんな利点があるけれど、一人旅の上に目的地が一ケ所で、町がさほど広くなく、そしてJRなども通じているこんな場合、安全性なども考慮した広い意味から総合的に判断して、鉄道で行くのが正解であると思った。途中であちこち寄りながら、そこへの経過を楽しむのはドライブの醍醐味ではあるけれど、一人旅ではちと疲れる。56歳になったし、長距離ドライブが苦になり出したのは、やはり老人力以外のものではない。たまには鉄道の旅を楽しむのもいいではないか。滞っている読書計画を促進することもできるだろう(鉄道の旅では、なぜか家にいる以上に本読みが出来る)。

 

  旅に出ることの利点は、日常をばっさりと切って捨てられることである。勤め人の場合はもちろんその業務から自由になるし、一人旅の場合は更に家庭のしがらみからも自由になれる。個人差はあるだろうが、この醍醐味はこたえられないものがある。例えば、勤め人が単身赴任を強いられる。この時の反応に二通りあって、辛くてたまらない、というご仁は家庭人だろう。どのくらいの割合になるか、分からないけれど、楽しくて、たまらない、という人種も珍しくないのである。私がどちらに属するかは明らかだろう。もっと過激なことを言うと、世にある、いわゆるホームレスの男性(女性にもあるのだろうか。大体ホームレスに女性は稀である。)には、この人種が混じっているだろうことは想像に難くない。もちろん、私はホームレスになりたいといっているのではないし、こんなことを勝手に書きつけたところで、すぐに家から放り出されるわけはない、と高を括っているわけだけれど(多少は私も不安である。見るかなあ山の神は、これを。)。

 

  鉄道で往復することにして、ルートを選定した。筑豊本線で折尾へ出て、鹿児島本線、日豊本線とつないで臼杵へ行く方法。そして第3セクタ−の平成筑豊鉄道で行橋へ出て、やはり日豊本線へ合流するルート。趣味が勝ったルートとしては、後藤寺へ出て日田彦山線(JR)に乗り替え、夜明で更に九大本線(ゆふ高原線)に移り、湯布院などを経由して大分へ出ることも可能だ。先日亡くなった鉄道旅行家宮脇(俊三)氏なら絶対そうしたろう。ただし、湯布院か、それでなくとも沿線に居並ぶ魅力的な温泉群のどれかで一泊なりする誘惑に負けるのは確かだ。帰途このルートを使う手もある。こんなことをあれこれ考えるだけでも楽しい。

  ネットのヤフーの路線検索お勧め一番では行橋経由が出た。この平成筑豊鉄道(へいちく)は平成元年に開業して現在に至る、全国の第三セクター中でも数少ない優良企業に数えられる鉄道で、確か、開業三年目で黒字転換を果たしている。直方起点で終点の行橋まで、42.4キロの疲弊した元炭坑地帯と観光資源の皆無な田園地帯を1時間20分で結んでいる。そんなぱっとしない状況で予想外の健闘をしているのは、まことに立派といわねばならない。そのけなげさに敬意を表する意味もあり、これに決めた。

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