うすき・ゆめみし


(2)出発・「へいちく」

 

  3月20日(’03)。ちょっと付記しておくと、かなり特別な日として世人の記憶に留まるかもしれない日、つまり、帝国アメリカとユナイテド・キングダム英国の連合軍が、サダム・フセインの独裁国家へ闖入する旨通告したニュースが、私の三年ぶりのこの一泊二日の旅に、偶然重なる破目になった。私にとっては何ということもない普通のウィークディ。年度変わりの有給休暇の残りをいただいた、ちょっと後ろめたい解放感。町もやはりそんなシリアスな世界史的状況などどこ吹く風とでもいうような、のどかな晴れ日和だ。

  直方駅前のちょっと遠い一回5百円の駐車場へ車を放り込み、JR直方駅構内の延長上に隣設された「へいちく」のターミナルへ急ぐ。特にダイヤを調べてきたわけではない。行橋行きはほぼ一時間に一本(通勤時間帯はその二倍、途中の伊田駅止まり、後藤寺方面行きは15分間隔で出ている。)で、次の出発まで30分ほど待ちなのを掲示された時刻表で確認し、自動券売機で行橋を押す。¥870なり。時間があるのでJR駅舎へ向かう。コンパス時刻表(JR全国全線掲載)¥600なりを買う。戻って該当ページをチェックしているうちに、先行の伊田行きが高校生たちを乗せて出ていった。並行する筑豊本線(筑北ゆたか線)は去年電化が完成したけれど、へいちくはまだである。しかし、大きな赤字ではやばやとJRから見はなされたこのローカル線は、かなりの部分が(元々)複線になっている。ローカル線はもちろん、本線でも単線が普通という(私にとって馴染みの、京都から鳥取方面へ延びている山陰本線は、知る限りずっと単線だった。)感覚を持っている私などには、これは驚きだった。かつての国のエネルギー政策を一身に背負って石炭を掘り続けた筑豊炭田の、石炭輸送のための大動脈だったころの名残りがここに見えるようだ。

 

  定刻の十分ほど前に着いた一両のデーゼル車が乗客を降ろしてそのまま行橋行きになる。当然のようにワンマンカーである。なぜか乗り合いバスの趣きがある。定刻09:35に、七人ほどの更年期に近い女性たちを中心にした乗客を乗せ、これも老朽化が進んでいることがうかがえる、ディーゼル機関特有の激しい歯ぎしり音を車内に響かせて、へいちく軌条鉄輪バスは出発した。途中五分置き位に小さな駅に停車し、頻繁に客を乗降させつつ走る。地域住民の親身な足として第三セクター鉄道が生き残るために、彼等が進めた方法に沿線の駅の乱造があったらしい。もちろん「乱造」というのはあたらないだろう。多少スピード感は落ちるけれど、利便性などそれなりに効果を収め、確実に常連の乗客はついているようだ。田んぼの中の何もなさそうな駅でも客は待っていて、乗降客のいない駅はないように見受けられた。

  「へいちく」は走り始めて十五年になる。公用私用含め、既に何度も乗っており、窓外の風景もさほどの珍しさはない私は倦み、バックパックから読み掛けのハードカバーを出してきて読み始めた。「戦争の法」。グロチウスではない。古書店でこれを見つけた時は何か、反戦的なアジテートか、哲学書かと思った。ちらと中身を繰って合点がいった。十年前に書かれた佐藤亜紀のファンタジー、東北のN県がある日(1975年だと)、共産主義を標榜して日本から分離独立したという想定ではじまる小説である。作者の出世作、「バルタザールの遍歴」が結構面白かったこともあり(第三回ファンタジー大賞を得たということで読んだ)、題名はいただけなかったけれど、読み始めた。しかし、なかなかとっかっかりから乗れず、馴染めず、長いあいだ机の上につん読になっていた。奇想天外な筋立てではあるけれど、最初のうちはこの物語の語り手である跛脚(「この戦争」で名誉の負傷をして、それがもとで杖を手放せなくなった)の図書館司書のくだくだしいぐちめいた身内の話が延々と続いて、全く本筋へ突入しない。それでなかなか読む意欲が湧かなかった。旅へ持ち出せばなんとかなるだろうという読みもあった。一人旅では結構この読みは外れない。肝心なことは、余り欲張って何冊も持ち出さないことだ。新幹線などでは気が散るほどの美女もたまにはちらちらするけれど、この路線では期待する方が無駄なこともあるし、私は結構本読みに没頭出来た。
沿線はさほどのこともない殺風景なもので、「ほしい(糒)」という万葉ぶりの駅の駅舎には、日本チャンプも生んだというボクシングジムなんかもあるのだけれど、それも知るひとぞ知るという程度だし、観光資源というものでもない。個人的な思い出としては、この近くに私が九州で最初の数年間を過ごした下宿があった(裏山からは”こじゅけい”があさなあさな降りてきて私を目覚めさせたものだ。)のだけれど、それも今は整地され、裏山は大型団地になってしまった。

  炭坑節で有名な大煙突群が見えて、伊田駅へ滑り込んだ。たちまち中年のバックパック族の団体などで車内は満員になった。今日はいい天気ではあるけれど、決して休日ではない。この盛況は全く不思議だ。この路線の成功をまざまざと見る思いがする。

  「へいちく」は、事実、様々なイベントやら、フリーパス券やら、営業努力を日々続けている。そういった努力が乗客の継続的な獲得につながっているのだろう。近年は沿線にも幾つも温泉が作られて、その湯治客なんかも多いと聞いた。しかし、この団体はなにものだろうか。五つほど先のゆずばる(油須原)で多くが降りていった。温泉はこのひとつ先、人気スポット、年初に予測を越えて四年弱で累計百万人の湯遊客を記録したという「源じいの森」なのだが。さいがわ(犀川)の駅舎はそれこそサイのような奇抜な角二本をデザインしたようだ。しまった。写真に撮るのを忘れた。10:58日豊本線行橋終点着。

 
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