「うすき・ゆめみし」

(4)臼杵・野上邸と醤油、他

 

  行橋駅から電話で予約を入れておいた駅前のビジネスホテル、ニュー玉屋はなかなか立派なホテルで、ちょっと安心する。予めの電話予約は、当り外れが大きく、ひどい目にあうこともあるけれど、場当り的な飛び込みが、投宿拒否と野宿の危険を常にはらむことから、私など極力早目に手続きだけは済ますことにしている。もっとも、しけた旅館で部屋住みの幽霊を期待する楽しみもなくはない。おさだまりの増築棟で、部屋数だけは多かっ外たが、外観を裏切るような、さほどのこともない部屋だった。廊下の床がきしんだ。ともあれ、非常階段だけは確認しておこう。

  ウエストポーチとカメラだけを持ってホテルを出た。駅前はホテルが二、三建つほかは何の愛嬌もない、観光都市の感じではない。この駅は高架ではないし、方向は間違ってはいないと思う。雲が出て、日が少し薄くなったりしている。昨年の訪問時に貰った市内の絵地図を見ながら市役所方面を目指す。まず、野上弥生子成城の家だ。

  野上弥生子は女流作家の重鎮というより、日本の小説家の最高峰といっていいかもしれない。さほど作品は多くないけれど、凄い作家という印象がある。もっとも、私は「秀吉と利休」しか読んでいないし、評判になった映画も見て居ない。しかし、その重厚で絢爛たる文章の力には酔わされた。高齢で亡くなったのはいつだったろうか。さほど昔ではなかったと思う。今から行くのはその殆どの仕事をした、成城にあった自宅を亡き後移築したものだという。

  成城というのは、私にとって、なぜか懐かしい響きを持つ言葉である。「かつて成城学園に学び……。」というようなフレーズを何度か耳にし、読んだ記憶がある。何の根拠もないけれど、多分、多くの文士、文化人たちがその一帯に住んで、サロンのようなものを形成していたのだろう、と私は想像しているのだけれど。もっとも、野上弥生子は、いわゆる文壇からはひとり超絶した存在だった。遠い昔に夏目漱石の門下に連なって、そこから小説家としての出発をしたのは有名な話だ。漱石山房仲間の最後の生き残りだったのではないか。

  市役所やら公的機関が建つあたりを突き抜け、目標物を見つけられないまま、いったん臼杵湾の海が見える大きな川のテトラポットが積まれた水際へでて、どうしようもなくそのコンクリート堤の上を、海を背に川上へ、つまり町の方へ戻りはじめる。唯一の手がかり、なかなか良くできた絵地図ではあるけれど、ちゃんとした縮尺の地図ではなく、大胆なデフォルメや強調がされてあるらしく、野上邸は、それによれば海岸べりにあることになっていて、現前する川や堤はそれには描かれていない。いや、全く異なったあたりにその川らしきものがあって、どうにもその相関関係が理解出来ないのだ。野上邸はなくなったのか?川べりの道はやがて道でなくなり、鉄柵と深い茂みで阻まれ、そばに広がった学校(中学校?)の敷地を抜けねばならなくなった。誰かに文句を言われそうだ。私はどうも注意やら警告を受けやすい性格(体型?人相?)なのだ。ちょっとした工事がはじまっているようで、その間をどさくさまぎれに抜ける。向こうから眼鏡を光らせた口うるさがたの年増女史が小走りに近付いてくる。やばい、何か言われるかも。思わず身構えた時、小さな立て看板に手書きで「野上弥生子邸」の矢印。わっ、あそこにも。

  私が迂回するかたちになっていた場所が「成城の野上邸」だったらしい。大きな川を背にしているだけあって、背景は見事に抜け、きれいな青空が瀟洒な洋館と木立ちの風景をゆったりした絵にしていた。多分、これは想像だけれど、成城といえども、こんな見事なロケーションで建っていたわけではないだろう。二年前に来たら生前そのままに保存しはてあるに違いない書斎なども見られたのだけれど、しかし現在、建て屋の中の公開は中断されていた。残念だった。眼鏡女史も、ここを目指してきた野上ファンなのだった(失礼した)。茫然と張り紙を眺め、やがて肩を落として去っていった。

  迷路のような狭い住宅街の間の径をぐるぐる回り、歩いてようやく大通りへ出た。もうひとつの目標、臼杵川の右岸の車道を溯り、龍原寺三重の塔を目指す。車の多い臼杵川ぞいの道から川をまたいで「ふんどうきん醤油」の本社工場が見える。野上弥生子の生家小手川家が営む会社である。日本独自の調味料である醤油のシェアがどうなっているのか、私には分からないけれど、九州地域での「ふんどうきん」は多分、トップではないか。大阪あたりではキッコーマンが圧倒的だったが、九州でこのレーベルは余り見ない。醤油は地域性の高い商品なのかもしれない(保存性はいいと思うけれど)。何にせよ、弥生子はこの地で、素封家の令嬢に生まれたのだ。天はそんな幸運な女性に、更に、ずいぶん肩入れしたのかもしれない。行く先に巨大な木造の塔屋が見えてきた。龍原寺の三重の塔だ。

 

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