「うすき・ゆめみし」

(5)塔のこと、唐三彩のこと

 

 

  傾きはじめた彼岸前の日光に、塔はくっきりと絵に書いたような古色ゆかしいその雄姿を浮き立たせている。名工高橋団内が設計して、弟子が10年かかって建てたとパンフレッドにはある。安政5年完成というから(計算する  2003−1858=)145年目になっているわけだ。九州は歴史的にも畿内と遜色ない文化があったと思うけれど、なぜかこの手の仏教建築物、特に古い多重の塔が皆無に近いのはどういうわけだろう。かつて建てられたことは確かだけれど、皆なくなってしまったのだ。最近各地で再建されているようだけれど、この安政の塔は中でも最古に属するのではないか。本場の奈良県やら京都には数量質共に比べるべくもないし、山口にいくと、たちまち国宝の五重の塔(璢璃光寺.室町期)が出現するのは口惜しいことでもある。しかし、この龍原寺の塔も、安政の造作とはいえ、なかなかさびた味が出ていて好ましい。日本の木製建築物中でも、この堂塔というもの、精巧でありながら単純で、美しく、世界にも例を見ないものだろう。そう、「凍れる音楽」とはいい得て、至言といえる。腕のたつ大工は誰でも、こんな美術品としかいえないような建築物を建てることを夢みているのではないだろうか。幸田露伴の小説「五重の塔」のように。

  これを眺めながら、私の生まれた舞鶴にも、結構古い三重の塔があったのを思い出した。金剛院だった。あれはこんな交通の激しい場所にはなかった。滅多に誰も入らないような山中に、深い森を背景にしてひっそりと暗く建っていた。小学校の遠足で訪れた。塔のそばの大木から、子供たちの騒ぎに驚いたのか、奇妙な小動物が突然樹上から落下して草むらに落ち、狂ったようにそばの崖を走り登って消えた。モモンガだ、と誰かが言った。私は、あれは”むささび”だったと思った。しかし、後で調べたら、両者はほぼ同じものだった。いずれにせよ、夜行性の動物がなぜあんな時間、あそこに落ちてきたのか、疑問は残る。

  夜行性の動物が昼間も跋扈する。そんな場所が三島由紀夫の美学にかなったのだろうか、金剛院は彼の小説の舞台に書き込まれた。名作「金閣寺」だった。若い男女の悲劇的な密会の場面になったと記憶しているけれど、古さびた堂塔の三島的な叙述は全く記憶に残っていない。また読み返してみようかと思う。

  逆光になって、十分ではなかったけれどデジカメにも収め、そこを離れた。しばらく二王座の切り通しをうろうろして、また臼杵川の筋に出てきたのをしおに、住吉橋を渡って「中国陶瓷美術館」へ足を向ける。これも野上一族の会社社長が愛好し、長年に渡って収集した、中国古代から近代に至る彩色陶器の驚くべきコレクションである。もっとも、私は全く詳しくないのだが、誰も他に入館者がいなかったし、暇を持て余したのか若いキュレーターとおぼしき人物が最初からつきっきりで展示物の説明をかって出られたのには恐縮した。おかげでたっぷりと一時間余、閉館間近かまでそれら100点近い名品、傑作の数数を厚く深く楽しむことができた。なんという幸運。

  館は大きく三室に分かれており、それぞれ俑(人形=動物像も)、陶(せともの、壷が主体)、華(華やかな模様のある皿が多かった)と銘されて、年代もその順に若くなっていく傾向があった。もっとも、俑は古代の墳墓から出土されることが多いので、古いのも当然だろう。まず最初に度胆を抜かれるのが、前三千年期とされる巨大な馬の三彩である。きらきらとなめらかに光をはねる表面の明るい色とつやは、とても五千年前のものとは思えない。どうも既視感が拭えないのは、多分、どこかの美術書でお目にかかったからに違いない、金額には換算出来ない貴重なものなのだろう。見飽きない面白いものが多かったけれど、特に印象に残ったものに、大きならくだがあった。これも実に細部まで写実的で、背にかるった様々な荷物に至るまでまざまざと当時の実物を見る思いがした。馬もらくだも主流である漢民族のものではなく、彼等にさんざ罵られ、悪しざまに名づけられた傍流の民にしてこのような見事な文化を持っていたというところ、中国という巨大な国のふところの深さが感じられた。陶器は英名チャイナというだけあって世界にぶっちぎりさきがけて様々な製法の発明発見がなされた。7世紀あたりの磁器の登場も、さきだつところ数百年以上、世界でのトップだそうである(日本では5世紀遅れとか)。世界一の窯元景徳鎮は今も生産を続けている、1000年以上の連綿たる名ブランドだけれど、その柔らかくて温かい色調の白磁は、青磁よりも貴重で凄いものなんだそうである。皆、時の皇帝に献上されたものばかりと聞いて、時空を超えここでそれらのマスターピースが見られるという、その不思議な巡り合わせを思ったことだった。
左図・駱駝の俑 パンフレッドより転載

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