「うすき・ゆめみし」

(7)反グルメ、二王座で迷う

 

  そろそろ晩めしの時間であるよと、あちらこちらきょろきょろしながら安そうで、出来れば郷土料理のようなものを(話のたねに、という面が強いのだが)と小料理屋なんかを覗いてみる。臼杵は下関なんかとは違った大衆的な「ふぐ料理」で有名だと聞いてきた。なるほどちょっとした会席を出すような店の前には大抵そんな表示が出ている。しかし、やっぱり高い。5千円、6千円という数字が見える。もちろんこれが高いか、そうでないかは、経済事情を別にすれば、全く個人的な見方である。うん、安いじゃあないか。滅多に来ない旅先で、一生ものだぞ。ここでなぜ決断しないのか!とかおっしゃるグルメ連は多いだろうと思う。しかし、私には安くないんだなあ、これは。

  作家にも、美食追求に価値を見いだすグループと、全く興味がないかのようなひとたちと、更に、グルメを軽蔑するような言動を吐くご仁もおられるようだ。それぞれの代表をあげると、まず開高健氏は前者、司馬遼氏は無関心派だろうか。男たるもの、食なぞにこだわるべからずと喝破したのは稲垣足穂。しかし、彼は酒には目がなかった。

  ふぐが安いか高いかの価値観はさて置き(関係があるかもしれないが)どうも、私はこういうときの決断が遅い。あれこれ考えながらドライブしている時など、すぐ距離を行ってしまうので、レストラン地帯を過ぎてしまい、食べる機会を逸してしまうのだ。歩いていてもこれは同じで、困った事態に直面する。さほどに厚みのない繁華街などとっくに後ろになって、明るい店自体があたりから消え、また戻ろうかと空きっ腹を抱えて立ち止まったとき、すぐそばに駐車場が広がって、曲のない、しもた屋を改造したような比較的ま新しい料理店(こじんまりしたドライブイン?)が現れた。もう何でもいい。客はいないようだったけれど、明るい店内へ入り、テーブルのひとつを占める。何ができるのだろう。さして品数のないメニューから刺身と酒の冷やを頼む。かんぱちと鯛の刺身、久保田(小さく爛漫と添えてあったような)を勧められるまま冷や酒で呑む。とろりと濃い味のうまい酒だ。

  テレビはバクダッドの大統領宮殿など、限定されたイラクの中枢へ爆撃と巡航ミサイルが打ち込まれたことを言っていた。そういえば、そんな日だったのだ。フセインは死んだかもしれないと。いや、彼は死なないだろう。そういう男だ。もうひとつの気掛かり、春場所の魁皇は勝ったらしい。もう優勝は望むべくもないけれど、それにしても前半のとりこぼしがなければ、楽勝で優勝だったのに、という仮定は、やっぱりむなしい。あのとき、ああしていれば良かったのに、こうしていれば、という後悔は、それこそ男児たるもののすることではないのだ。もちろん、後悔ではなく、前向きの想像をするのは悪くはない。前向きの想像、つまり夢みていい気分になれるのは人間の特権だ。夢を自由に見られること、これ以上の自由はない。夢に見た一人旅、臼杵に来て良かった、と思う。うすき、ゆめみし、酔いもせず。とっくり1本ではよく酔えないけれど、適量というものもある。

  あと、中華風のえびピラフとちゃわんむしの変な取り合わせで腹を作り、宿へ戻る。途中道に迷い、JR上臼杵駅までいってしまい、商店街まで大きく戻り、さらに暗い二王座の、名にし負う迷路で立ち往生する。たまたま目前にあった格子戸の戸締まりに出てきた運の悪い60年配のご主人に、一旦閉じられた木戸越しによばわって道を聞く。その強引さに負けたのか、車で駅まで送って上げようといわれる。心細い旅の夜空の下でこんな人情、親切に出会う幸せを思う。やはり、臼杵に来て良かった。

  送っていただいたご主人によれば、二王座の迷路は戦国時代、侵入した他所者をシャットアウトするために意図的に設計されたものだということだった。なるほど乗せて貰った白の高級乗用車がバイパスに一旦出、大きく迂回して寂しい臼杵駅の前へ出たときは、多分、あのままではその夜中歩き続けていただろうと思った、それほどの距離だった。生き返った思いでホテルへ入った。午後八時半だった。風呂に入って就寝。静かな夜。アダルトは終日無料放映されていたが、古い、たいしたこともない内容だった。疲れていたし、読み掛けの「戦争の法」は全く食指が動かないままだった。
(冒頭写真・臼杵二王座の坂道 中條氏提供

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