「うすき・ゆめみし」


(9)「故郷を離るる歌」、駅弁に泣く

 

  野上記念館を出て、昨日覗いたネットカフェへまた入り、気になっていたわがHPの「掲示板」に常連から来ていたメイルの返事を書き込む。どんな忙しくても、この習慣だけは続けなくては、と思う。誰であれ、書き込んでくれることは、わがHPへのエールであり、返事を期待していることも確かだろう。おおやけの場でその信頼を裏切ることは、訪問者全員を失望させるし、HP全体の品位を下げることになると思う。主宰者の楽しみであり、また辛いところでもある。

  昨夜迷った二王座のみちをまた歩く。狭い、きつい坂と切り通しなどを含む小径は、こけむした石垣、幾つもある寺院の山門など、歴史の厚みを感じさせ、なかなかの味わいだ。昨日送っていただいた方の家を捜したけれど、結局分からなかった。平清水地区へも足を伸ばし、明治初期の作詞家で、日本の音楽教育の基礎を作った吉丸一昌の記念館「早春賦の館」を覗く。野上記念館同様に素朴な,

しかし白壁の武家屋敷風の民家(ユキ夫人の実家だと)をそのままミニ・ミュージアムにした、この味わいをよしとしたい。名曲早春賦の歌唱が流れる中を当時としては広かったにちがいない座敷、畳敷きのままの通し部屋で、一昌の数々の遺品、自筆原稿などを見る。早春賦(作曲中田章=中田喜直の父君)ももちろん名曲、名作だけれど、「故郷を離るる歌」も彼の訳詞だということは、ここではじめて知った。これも私は大好きな曲だ。中学の音楽で習ったような気がするけれど、古いドイツ民謡を日本の歌好きに紹介し、親しい歌曲、日本人の文化財産にしてしまったことは、いっそう大きな功績ではないだろうか。

 

  昨日のこともあり、慎重に地図を見て道を選び、無事辻ロータリーまで戻って、家人のために土産店を選ぶ。やはり食べ物が無難だろう。「臼杵まんじゅう」なる十個入りの箱を買って、わけもなく安心してしまう。これで心おきなくわが家へ帰れる。既に正中の十二時をかなり過ぎている。私の体は朝昼晩と、質量はさておき、正確無比な食生活を旨としているのだが、どこかで臼杵最後の午餐をと焦る気分も、例の自業自得、優柔不断から結局果たせず、駅弁を車内で買うことにして、缶ビールだけをキオスクでゲットする。帰りの便は「にちりん8号」、往きと同じ赤いエクスプレスだ。五分ばかり遅れて到着したL特急は既にかなりの乗車率であり、何とか座席は確保したものの、やってきた美女のワゴンは”弁当売り切れ”だった!やんんぬるかな。旅の最後のささやかな愉楽、車中での缶ビール、駅弁賞味というスタンダードな奢りの計画はもろくも崩れ去ったのだ。今回の旅最大の誤算、失敗(泣、怒=誰に?)。

 

  結局、大分駅で列車を一旦降り、駅構内(改札を出ると、自由席特急券といえども、前途無効になる)の立ち食いうどんをかっこみ、なんとか空きっ腹を解決し、続いてホームにやってきたL特急に飛び乗るという離れ業(というほどでもないか)をやった。500CCのスーパードライは自宅へ持ち帰り、私自身の土産にするしかないか。誰をも恨めなかった、傷ついた私の、せめてもの慰めは、飛び乗ったこの旅最後の特急が、「白のソニック」として最近つとに高名なラグジュアリー車両「ソニック34号」博多行きだったことだ。

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                                          「うすき、ゆめみし」  終わり

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